佐世保市柚木に残る手光家の墓 | 稜山泊

佐世保市柚木に残る手光家の墓

佐世保市に帰郷した後、時は2021年10月30日でした。その頃、瀬戸越一丁目にある泉福寺観音堂が柚木にも有るとか、おサイの悲劇に出てくる山本右京の墓を求めて柚木界隈いろいろと調べていました。
 そんな中、手光家の墓も探したいと思って見回っていました。これかなと見つけた墓は、今思えば、立派過ぎて、多分明治頃の墓だったでしょう。

 最近、佐世保市元市長の朝長さんが、ここに出てくる話題を次々とFacebookで紹介してくださっています。
 そこに、手光家の墓も紹介されていて、やっと、その場所が分かったので、行ってきました。場所は、良く話題にする筒井町のお滝観音の近くで、そこから西南西約300mの場所でした。前述の発見した墓は、そこから700mだったので、まったく違っていました。


 左側が手光家の先祖を祀るお墓。右側に有るのが450年祭を記念した記念碑です。450年祭は、昭和55年の事。記念碑にはその当時、この地に23戸の手光家が残っていると紹介されています。
 朝長さんも紹介されていましたが、手塚家の情報としては、連歌師の手光宗作が歌った歌の話しが。平戸松浦に攻められ、飯盛城に籠城した松浦宗家の親がその歌を見て、和睦したと紹介されているのですが。
 松浦親が降参したのが1566年です。昭和55年に催された450年祭から逆算すると、手光家の起源は、1530年となります。何を起点としたかには触れられていませんが、手光宗作の生誕としても、年数的には合うのかもしれませんね。

 手光宗作、手光家を調べてもあまり出てきませんが。ひとつは、手光宗作は、連歌師であると同時に、松浦宗家の家臣でも有った。そして、その後、現在の筒井町を中心に、柚木地区の開拓に尽力した一族で有ったとの記憶があります。ネット上から情報が消えたのかな?間違いなのかな?


 手光家の墓を少し離れて見た写真です。田んぼの中に小さな丘の上という感じなのですが。左側に道路があり、写真の前後方向に住宅が並んでいます。道路を登ってくると、右手奥に墓石が少し見える感じでした。
 この近くに手光家一族が住んでいるのかなと少しだけ探索。写真の後方に民家はあるのですが、出ていた表札は違う名前でした。
 この写真の向こう側は、牛舎となっていて、名前は分かりませんでした。探すのは簡単ではない様子。


 この墓地に来ると、圧巻の大木が目に入ります。木の種類は分かりませんが。多分、樹齢が500年という程の大木なのでしょう。
 朝長さんの記事に無い辺りを紹介させて頂きました。

 冒頭に出てきた話題の記事を紹介しておきます。
・『もう一つの泉福寺(佐世保市柚木元町)』(2021/10/30)
・『戦国時代の悲劇の主人公山本右京の墓』(2021/11/6)