2024.04.06 浜松城と桜 | Wuxi-chanの雑記note "~なるようになるさ~(「無錫note」から変更)

Wuxi-chanの雑記note "~なるようになるさ~(「無錫note」から変更)

2018年1月に20数年勤めてきた会社を辞め、翌2月に無錫での生活へ。ここでの生活、自分専用のノートとして書き留めることにしました。

2020年1月末、春節で一時帰国から本帰国となる。
5月末に本帰国辞令。9月末に主人が帰国となる。2021年から日本で新生活をスタート。

 
 
4月6日(土)
 
 
 
浜松城は3回目。
御城印が欲しくきた。

 

  浜松城

 

今から450年前の元亀元年(1570)に徳川家康が引間城を改修し、名を改めた城です。家康が在城すること17年間、この間に戦国武将として領地を拡大していきました。天正18年(1590)に城主となった豊臣秀吉の重臣堀尾吉晴は、家康が土を盛って土塁を築いた城を、高石垣を備え、天守の建つ城に大改修をしました。江戸時代には、譜代大名たちが城主を務め、城下町を整備しました。浜松城主から、江戸幕府の要職に就くものが多いことから、浜松城を「出世城」と呼ぶこともあります。
 

 

 
 
 
 
 
 
 
城址は昭和25年(1950年)に「浜松城公園」となり、昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート製の復興天守が再建された。
建設にあたって天守台に対し2/3程度の大きさで建てられたため、史実の天守よりも小さな建物となっている。
 
天守は堀尾氏が治めた16世紀末に創建されたとみられるが、江戸時代初期には失われ、以降再建されなかった。当時の天守の姿を伝える資料は残されていないが、同じ堀尾氏が治めた城で当時の天守が残る松江城は創建時の浜松城天守を参考に設計され、両者の関係が注目されている。
 
 
 
天守の地下室に残る隠し井戸
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
野面積みによる天守創建時の天守台。
 
 
   
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
再见!