2月17日(土)
吉良町
吉良町(きらちょう)は、かつて愛知県幡豆郡にあった町。
2011年(平成23年)4月1日に西尾市に編入合併された。吉良の名は青鳥山周辺の地質にみられる斑れい岩を貫くペグマタイトの中に白雲母(キララ)があり採取も行われていたことに由来にする。中世には足利氏族の東条吉良氏が領主を務めた。
吉良の仁吉(にちき)と吉良上野介で有名な吉良町。
デザインの由来
吉良町の町章の周りにあるのは町の花ツツジ。その外側には、円形の中に置かれた高家(江戸幕府における儀式や典礼を司る役職)吉良氏の家紋「五三桐」が並んでいます。
イラスト: そでさんによるイラストAC
沖島(おきしま)とは、三河湾にある三河湾国定公園内の島。対岸(東幡豆海岸)から約1.5km離れた無人島であり、面積は約8ha。愛知県西尾市に属する。別名・猿が島(さるがしま)、弁天島。
前島が名古屋鉄道の手によりウサギなどを放し飼いにした「うさぎ島」として開発されたのに対し、沖島は日本モンキーセンターの支所として小豆島で捕獲した野生のニホンザル36頭が学術研究用に放たれ、「猿が島」と呼ばれるようになった。両島は公益財団法人日本モンキーセンターが運営する三河湾海上動物園となった。
しかし経営悪化により1997年(平成9年)11月30日に三河湾海上動物園は閉園。放し飼いにされていたニホンザルは日本モンキーパークに引き取られている。
前島(まえしま)とは、三河湾にある三河湾国定公園内の島。対岸(東幡豆海岸)から約600m離れた無人島であり、周囲は約800m。干潮時は、東幡豆海岸と陸続きになる(タイダル・アイランド)。
三河湾海上動物園は開園当初より年間20万人ほどの集客があり、最盛期の1978年には56万人を記録したが、1980年には25万人に半減し、以後も減少を続け1995年には14万人ほどになっていた。園を運営する公益財団法人日本モンキーセンターは当時年間6000万円の赤字を計上していたことから島からの撤退を決め、1997年(平成9年)11月30日に「うさぎ島」は閉園となった。閉園時、島内にはウサギ約100羽、ワラビー6頭、クジャク46羽が放し飼いにされていたが、このうちウサギ77羽が動物ショップ業者に、ワラビー2頭が愛知こどもの国に、クジャク22羽が内海フォレストパークに引き取られ、残るウサギ20数羽とワラビー、クジャクは日本モンキーパークのちびっこ動物広場で飼育された。
三河湾に浮かぶヨット、町の花ヤマツツジとアジサイが描かれている。ヤマツツジの右側は三ヶ根山スカイラインが「あじさいロード」と呼ばれることから「アジサイ」と思われる。
コンビニで見つけたマンホール
西尾市の市章のバラ