山口マンホール探しの旅2:2024.01.06 城下町長府マンホールカード2/2 | Wuxi-chanの雑記note "~なるようになるさ~(「無錫note」から変更)

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2018年1月に20数年勤めてきた会社を辞め、翌2月に無錫での生活へ。ここでの生活、自分専用のノートとして書き留めることにしました。

2020年1月末、春節で一時帰国から本帰国となる。
5月末に本帰国辞令。9月末に主人が帰国となる。2021年から日本で新生活をスタート。

 
 
2024年1月6日(土)
 

下関市

 

古くから関門海峡に面する港湾都市、大陸への玄関口として栄えたこともあって人口は県庁所在地の山口市をも上回り、山口県下では最大である。 中国地方では広島市、岡山市、倉敷市、福山市に次ぐ5番目の規模であり、西日本では唯一県庁所在地の人口を上回る中核市でもある。 関門橋や関門トンネル、新関門トンネルなどで繋がる対岸の福岡県北九州市と密接な関係を持ち、関門都市圏を形成する。

 

 

 

 

長府の起源は、長門の国府が置かれていたことに由来する。もともとは府中と呼ばれており、長門の府中から長府と呼ばれるようになったといわれている。

 

 

11:05

 

  ふくの関 長府観光会館店

 

 

 
 
 
 

 デザインの由来

 

下関市は、本州最西端に位置し、関門海峡、周防灘、響灘と三方を海に開き、古くから陸海交通の要衛、水産都市として発展してきました。下関市の水産物5大ブランドの1つである「ふぐ」は、幸福の「福」にかけて「ふく」と呼びます。このマンホール蓋は、下関市のシンボルマークとなっている「ふく」を、親しみやすく、愛らしく表現し、下関の頭文字「し」を造形化した「波」の中から現れる様子を表しています。また、マンホールカードの配布場所である下関市立歴史博物館は、明治維新発祥の地である城下町長府にあります。城下町長府を散策しながら幸福の「ふく」を見つけてください。

 

 

 

 配布場所・時間

 
 
 
 
 
長府(ちょうふ)は山口県下関市南部にある地域。仲哀天皇滞在、和同開珎の鋳銭、大内氏滅亡、四国艦隊下関砲撃事件、功山寺挙兵など歴史的な出来事は多い。地理的には東側および南側で海に面し、現在はほとんどが住宅である。
 
 
 
 
城下町長府の中でも、もっとも城下町の面影を残す古江小路(ふるえしょうじ)がある。この城下町長府の武家屋敷は合戦に備えての防衛的配慮がしてあり、土塀は防壁として築かれている。
この小路には、長府藩初代藩主毛利秀元(ひでもと:毛利元就の孫)により、京都から招かれた侍医兼侍講職を務めた格式のある家柄であった『菅家長屋門』がある。
 
しかし、
わたしが歩いた道は、古江小路ではなかった。
 
壇具川
仲哀天皇、神功皇后の時代に、戦勝を祈願して祭壇にあげた様々な道具をこの川に流したのが名前の由来とされている。
 
 
至る所にフグのマンホールがある。
 
 
 
 
 
 
座標軸のマンホール付近に「長府毛利邸」がある。
 

 

長府毛利邸

1903(明治 36)年に建てられた邸宅。1902(明治 35)年
に天皇陛下が訪れた際、同邸を行在所(あんざいしょ)として使用した。武家屋敷造りの母屋と白壁に囲まれた日本庭園からなる。日本庭園は、書院造り、枯山水、池泉回遊式の3種類の形態をもつ。

 

写真:しょーちゃんKSDさんによる写真AC

 

 

座標軸のマンホール

 

 
 
 
 
 
歴史的遺産が17か所あり、

 

印藤聿(いんどうのぶる)生家跡

坂本龍馬が度々訪れ、龍馬に経済的な支援をした。後に名前を豊永長吉に変えた。武士であったが経済に通じていた。銀行、塩田開発、製薬業、門司港の開発などの実績がある。

 

長府藩士・印藤聿 生家跡碑

 

 

 

長府藩侍屋敷長屋

家老屋敷の分家にあった長屋を移築したもの。大きさが8間×2間(1間= 182cm)で、昔の宮大工が作った建物である。門の横に建てられていたもので、両側の畳の部屋は「友待ち部屋」と呼ばれ、主人に会いに来た人たちの待合室であった。中央の土間は使用人達の仕事部屋である。建物はおそらく江戸末期のものである。1985(昭和 60)年頃にコロで転がし移築した。邸内には毛利家の家系図も展示されている。
 
写真:rupann7777777さんによる写真AC

 

御影の井戸

901(延喜元)年、菅原道真公が太宰府に流された際に忌宮神社に宿泊し、ここに在った「勧学院」の井戸に映った自分を見て自画像を書いたといわれている。

 

菅家長屋門(かんけながやもん)

菅家は、毛利秀元に京都から招かれ待医兼待講職を務めた。菅家の邸宅の長屋門が残っており、菅家長屋門とよばれている。

 

写真:photopictureさんによる写真AC

 

 

下関市立長府図書館

1909(明治 42)年に私立豊浦郡教育会付設豊浦図書館として開館し、1924(大正 13)年に当時の長府町に移管され長府町立長府図書館と改称、さらに 1937(昭和 12)年に下関市と合併して市立図書館に改称した。

長府毛利藩関係の古文書をはじめ、乃木文庫、熊谷家文書などの貴重な歴史資料が保管されている。この付近に長門国の国府があったといわれている。

 

 

 2023.10.21:マンホールサミット@岡崎

 

 

 

 

 

 観光スポット情報

 

古江小路 (ふるえしょうじ)
住所 : 山口県下関市長府惣社町3-28
電話番号 : 083-231-1350 (下関市観光政策課)

料金 : 見学自由(道路側からの外観見学のみ)

アクセス : 

公共交通:JR下関駅→サンデン交通バス長府行きで23分、

バス停:城下町長府下車、徒歩7分
車 : 中国道下関ICから7km15分
駐車場 : なし

 

 
 
 
 
長府観光会館店に戻ってお土産を購入。
 
 
一目惚れ。「マンホールサミット@岡崎」でも販売されていた。実はこのときから気になっていた。
 
 
 
このあと「くじら(らーじくんのマンホールカード)」のマンホールを撮影のため関門医療センターに向かう。
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 

 

再见!