三重マンホール探しの旅6:2023.12.17(桑名市)マンホールカード2/2 | Wuxi-chanの雑記note "~なるようになるさ~(「無錫note」から変更)

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2018年1月に20数年勤めてきた会社を辞め、翌2月に無錫での生活へ。ここでの生活、自分専用のノートとして書き留めることにしました。

2020年1月末、春節で一時帰国から本帰国となる。
5月末に本帰国辞令。9月末に主人が帰国となる。2021年から日本で新生活をスタート。

 

12月17日(日)

 

 

桑名市

 

伊勢湾の堆積平野の伊勢平野と木曽三川による沖積平野の濃尾平野の境にある都市。愛知県と岐阜県に接しており、名古屋市から25km圏に位置する。名古屋市のベッドタウンとして宅地開発が進んでいる。無形文化財に石取祭や連鶴の折り方の「桑名の千羽鶴」などがある。

2004年(平成16年)12月6日に桑名市、桑名郡長島町、多度町の3市町村が合併(対等合併)して誕生した市である。

(はまぐり)料理に代表される食文化を有し、ナガシマスパーランド、多度大社、六華苑、東海道の七里の渡しなど豊富な観光資源に恵まれた三重県下屈指の観光都市であり、機械・金属系を中心とする工業都市でもある。

 

 

 

 

  宿場の茶店 一 (ハジメ)

 

 

甘味処。女性のお客さんで満席。マンホールカードだけを受け取ってお店をあとにするんだけど、めっちゃ恥ずかしかった。

 

 

 

 

 

 デザインの由来

 

東海道42番目の宿場町として大変な賑わいを見せていた桑名宿と宮宿(名古屋市熱田区)の間は東海道唯一の海路で結ばれていました。「七里の渡」の名称は、宮宿から桑名宿までの海上距離が七里(約28km)であったことに由来しています。また、七里の渡し場は伊勢国の玄関ロにあたり、ここに立つ大烏居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称されています。マンホール蓋には七里の渡の風景と長良川、揖斐川にかかる伊勢大橋、その向こうに臨む伊勢湾が描かれ、新旧の交通路をあらわしています。

 

 

配布場所・時間

 

宿場の茶店 一 (ハジメ)

住所 : 三重県桑名市川口町8

電話番号 : 080-8251-5056

配布時間 : 午前11時から午後6時
ただし、月曜日、年末年始は配布しない。

駐車場 : 店舗の前と横に計4台

 

https://kuwanajuku.com/hajime/

 

 

 

 

 

 

 

柿安精肉本店と柿安 料亭本店がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七里の渡し

 

東海道五十三次で知られる宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)までの海路で、かつての官道。この渡しの宮宿側、または、桑名宿側の渡船場のみを指して「七里の渡し」と呼ぶことも多い。

江戸時代においても陸路を使うことは可能であったが、あえて船賃が掛りかつ海難リスクを伴う海路を利用する目的は路程にかかる時間の短縮にあった。後述のように海上を避ける迂回路としては、脇往還の佐屋街道があったが一日の行程を要した。

 

七里の渡しの名称は、移動距離が7里であったことに由来する。渡し船によって移動し、所要時間は約4時間であった。「桑名の渡し」、「熱田の渡し」、「宮の渡し」、「間遠の渡し」などとも言った。天候の悪化などにより、海難事故がしばしば発生する東海道の難所の一つであった。海上を避ける迂回路としては、脇往還の佐屋街道があった。宮宿、桑名宿は渡船場として賑わい、旅籠屋数でそれぞれ東海道における1位と2位の規模を誇った。

 

Wikipediaより

 

 

 

  蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)

 

平成15年(2003)、国土交通省水門統合管理所として桑名城の蟠龍櫓(二層櫓)が外観復元されている。破風意匠が城外側のみに施された櫓で揖斐川に面している。

 

 

 

1階は水門管理所ですが、2階は展望台兼資料室として見学することができるそう。

 

 

 

蟠龍櫓

 

桑名城には、元禄大火後に再建された時点で51の櫓があったと記録されています。このなかでも、川口にある七里の渡に面し建てられていた蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)は、東海道を行き交う人々が必ず目にする桑名のシンボルでした。河川広重の有名な浮世絵「東海道五十三次」でも、海上の名城と謳われた桑名を表すためにこの櫓を象徴的に描いています。蟠龍櫓がいつ建てられたかは定かではありませんが、現在知られているうちで最も古いとされる正保年間(1644〜48)作成の絵図にも既にその姿が描かれています。蟠龍の名が文献に初めて表れるのは、享和2年(1802)刊の「久波奈名所図会」で七里の渡付近の様子を描いた場面です。この絵では、単層入母屋造の櫓の上に「蟠龍瓦」と書かれており、櫓の形はともかく、この瓦の存在が人々に広く知られていたことを思わせます。


「蟠龍」とは、天に昇るうずくまった状態の龍のことです。龍は水を司る聖獣として中国では寺院や廟
などの装飾モチーフとして広く用いられています。蟠龍櫓においても、航海の守護神としてここに据えられたものと考えられます。

 

歌川広重『東海道五十三次・桑名 七里渡口』

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
再见!