Nothingness of Sealed Fibs -36ページ目

Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

先々週、相方さんと荻上直子監督の最新作をみてきた。生田斗真くん演じる「りんこさん」が話題の一本であるが、そこはくせもの荻上監督。りんこさん、マキオ、トモ。家族みたいな3人の、ドラマチックなのに自然体な日々が、たくさんの遊び心あふれるシーンで描かれている。

 

リンコさん(生田斗真)とトモ(柿原りんか)が秘密を打ち明ける糸電話のシーン。

子供の時代のリンコさんが母親(田中美佐子)にはじめて性のなやみを打ち明けるシーン。

自殺未遂したクラスメートとトモのやり取り(正確なセリフは忘れたけど、たしか「死にそうになるってどんなかんじ?」「覚えてないんだ」「ばっかじゃない」という感じだった)。

マキオ(桐谷健太)とリンコさん、トモの三人で花見にいって、何話すわけでもなくめいめいが思い思いのことをしているシーン。その三人が並んで座って一心不乱に編んでいるシーン。

三人で108個の編み物を浜辺で燃やすシーン。

トモの母(ミムラ)に「今日は一人で帰って」とトモがいうシーン。

「リンコさんのような心の人に惚れちゃったらね、あとのいろいろなことはことはどうだっていいんだよ」というマキオのセリフ。

どれも緊張感と暖かみがあわさった印象深いシーンだった。

 

この映画の登場人物たちは、誰もが普通から外れている。母子家庭、トランスジェンダー、仕事を5時に終えるあたりなどなど。たぶん、「どうして普通から外れてしまったのか」という問いに、りんこさんたちは、「誰かのせいだ」ではなく、「誰のせいでもない」と答えるだろう。誰のせいでもないのだから、誰かや自分を責めたりしない。悔しくてしょうがないときにも、誰を責めるでもなく、編み物にむかう。編み物に向かうとはどういうことか。この映画のタイトルで言われている(あるいは言われていない)ように、彼らが本気で編むときは、何も起こらない。ただ集中した時間が終わったときに、編み物が出来上がり、悔しさが消え去るだけなのである。「誰のせいでもない」という答えのもつ優しさが、この映画全体を包み込んでいるように思われた。

 

ふと考えてみれば、誰だって、それなりに普通から外れているのではないだろうか。外れかたは、障害だったり、境遇だったり、病気だったり、得意技があったり、多様かもしれないが、なにかしら普通から外れている、それが普通(!)なのだ。だから、本当は「普通」なんてものは、虚構なのである。そうに違いない。虚構に過ぎないからこそ、自然に生きているだけでは「普通」はわからない。だから学校に行かされる。この映画の中の学校は、あまりにも悔しい場所だった。そんな学校ばかりでないことを祈る。

 

おそらく、人の優しさとは、普通から外れていることに根差しているのではないか。トモの「ばっかじゃないの」という普通ではないセリフに優しさを感じ取ってしまう僕には、そう思えてならない。

 

個人的な話になるが、僕は、この映画を観ながら、今は亡き祖母のことを思い出していた。この3月で亡くなって2年たつ。戦後の厳しい時代、祖母は母子家庭を「編み物」だけでささえた。朗らかな祖母だったが、きっと悔しい思いをしたこともあっただろう。厳格だったが優しい祖母だった。祖母のひらいた「ひまわり編物研究所」は、今看板だけがひっそりと残っている。彼女はきっと本気で編んでいたんだろう。

つづき

 

この年になって、短い時間で読める新書を手に取る機会が増えてきた。だが、新書といえども歯ごたえのある作品が多く(特に古い本ほど)、2016年も新書から得た刺激は多かったような気がする。昔はさっぱり興味のなかった歴史や政治に関する本がなぜか多くなってきているのは、年を取ったせいだろうか。

 

○北山修『帰れないヨッパライたちへ 生きるための深層心理学』NHK出版新書、2012年

精神科医北山修さんのフォーク・クルセイダーズ時代の回想から「嫉妬」をめぐる心理学的考察が展開される。フロイト、ウィニコットといった精神分析医の系譜にある北山さんの文章は分かりやすく、特に「日本社会が汚いものを体の中に保持することや見かけの清潔を大きな課題としているため、それに失敗したものは辱められやすい」(103頁)という視点から有名人の失言を分析するくだりは面白く読んだ。ただ、精神分析の今後の課題は、これまでの蓄積から得られた洞察と発生学・生理学的な知見をどう結び付けていくかという点にあると思われる。言語の分析は大切ではあるけれど、語っている患者さんのしぐさ、姿勢、顔色、トーンといった身体の生理学的状態や脳の発生学的な階層構造と結び付けていかなければ、やはり「達人の見出した有効な仮説的理論」の域をでないと個人的には思う。もちろん、ある種の「あやしさ」が心理学、精神分析の魅力であることは否めないし、人生にも「あやしさ」があったほうが面白いと思う。だが、医療者としては、もうすこししっかりとした根拠がほしいところ。僕はざっくりと、陸と海の境目に波があるように、本能的な古い脳(中脳、間脳、辺縁系)と文化的な新しい脳(大脳皮質)の機能のせめぎあいが感情になると考えている。だから、○○コンプレックスは、古い脳を新しい脳が抑え込んだときにおこる「もやもや感」のことだと勝手に思ってるのだが・・・。

 

○橋爪大三郎・佐藤優『あぶない一神教』小学館新書、2015年

ともにキリスト教徒でもあるお二人の対談本。アメリカ独自のキリスト教「ユニテリアン」についてはしっかりと書いてある本はなかなかなくて参考になる。西田幾多郎の哲学とカール・バルトの神学のもつ類似性を二人に師事した滝沢克己から指摘するというくだりは、滝沢克己に私淑する僕としてはうれしい箇所だった(決して滝沢克己が肯定的にとりあげられているわけではないが、すこしでもその名が人口に膾炙すればという意味で)。バルト神学ではイスラム教とキリスト教が永遠の平行線をたどるという批判的な指摘もその通りかなという気がしないでもない。しかし、ナチスが危険だ、ナチスに対抗したバルトも危険だということになると、毒を持って毒を制するという話になってしまい、じゃあナチスがない今、バルト神学は不要だという結論になりかねない。橋爪さんはバルト神学には論理のジャンプがあり、むしろハイデッガーのほうが理性と根拠に基づいて議論していると評している。確かにそのような面もあるのだが、神について論理的に語れるのであれば、論理が神より上に来てしまう。だが、バルト的には神こそが論理を根拠づけるのであって、その逆ではない。この辺が説明するとなるとややこしいところだが・・・。バルトがナチスに反対したのに対し、バルトを高評価した西田幾多郎やバルトに師事した滝沢克己は戦時下の日本で天皇制という装置をサポートする(とも読みうる)言説を展開した。だから、ナチズムと天皇制には、どこか決定的に違いがあるはずなのであるが、その探究は今後の課題か。

 

○内田樹・中田考『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』集英社新書、2014年

2016年はイスラム国、シリア情勢などイスラムに関連したニュースの多い年だった。イスラムついても少しは知っておきたいと思って手に取った本。井筒俊彦のイスラム研究が重要であることはもちろんだが、井筒さんは中村元とならんで、比較思想の大家としての側面が強く、結局のところ、ムスリムではなかった。中田考さんはムスリムとして発言している数少ない学者であり、カリフ制度再興を主張していることで知られている。「日本の場合は、欧化がすなわち民主化であり近代化であったりしましたけど、イスラーム世界は真逆で、ヨーロッパ的なるものを排除して本来のイスラーム的なるものを取り戻すことを民主化と言っている側面が大きいのです」(167頁)。なぜアラブ諸国が独裁制になりやすいのかという内田先生の問いに対し、族長と西欧的な国民国家という法人概念が結びついたからと中田先生は答え、さらに「私、イスラームにとって法人概念が最大の敵、最大の偶像だと思っているのですよ」(186頁)と指摘している。中田先生は、国民国家という法人概念のかわりに、カリフという個人をもってくることでイスラム世界が安定化するのではないかと主張しているわけだが、もしかするとカリフ制とは、日本における象徴天皇制みたいな仕組みなのだろうかと思ったりした。

 

○加藤典洋『日本の無思想』平凡社新書、1999年

繰り返される政治家たちの失言、前言撤回から、「タテマエ」と「ホンネ」の底に「どっちだっていいや」というニヒリズムを加藤さんは読み取る。そこから「タテマエ」と「ホンネ」は第二次世界大戦後に多く使われるようになったという指摘に進み、最後には現代日本の思想を蘇生させるために、「この憲法が、戦後の日本人の発意になるものでなく、僕たちのいま「善」と考えているものが、もとをただせばさまざまな仕方で「おしつけられ」たものであろうと、そのような事実を何ら回避することなく、そのマイナスをマイナスとして、それでもそこから憲法をわがものとし、外来の言葉と論理の意味するところをわがものとし、さらにその当初の認識を、より深く更新することが可能です」(286頁)と論じる。なんだか○○コンプレックスに近い話だなというのが、率直な印象。僕自身は「タテマエ」と「ホンネ」のズレは、世界に唯一の「私」が同時に社会に生きる「人間」でもあることから生じると考える。だからこの本質的なズレはどう頑張っても解消しえないと思う。「どっちだっていいや」と投げやりになったとしても、そのように投げやれる視点は肯定されている。だから僕は、加藤さんみたいに真面目に日本の無思想を嘆く気にはなれなかった。

 

○多木浩二『戦争論』岩波新書、1999年

「戦後50年以上たった今、多くの日本人は、金正日率いる北朝鮮を異様なものを見る思いで見ている。しかし、かつて外から見た日本はそれに似たものではなかったかと、想像力を働かせる人は少ない」(85頁)という文章にはハッとさせられた。トランプ大統領の過激な発言を連日ニュースで取り上げているメディアは、某国現首相や閣僚メンバー、某国首都の前知事が、(トランプさんにくらべればだいぶ小粒にしても)アジア諸国から危険視されている可能性についてはあまり取り上げない。また、ユーゴスラヴィア内戦のさなか、戦闘がおこなわれるサラエヴォで発行された冊子『サラエヴォ旅行案内』(1993年)の紹介も興味深かった。観光ガイドブックの形式を真似ながら、インフラや商店、情報や電気なしでどうやって生き延びるかを教える冊子!!。「市民がポリタンクをもって水のあるところに走ればそれが狙撃兵の標的になるような境遇におかれたら、冗談をいってみる他になにができるか?」(152頁)という文章が突き刺さった。

 

○福田歓一『近代の政治思想 -その現実的・理論的諸前提-』岩波新書、1970年

冷戦真っ最中に出版された政治思想史家・福田氏の講演を書籍化したもの。中世の政治体制がどのように解体され、近代の主権国家というしくみが生まれ、現代に至っているかを政治思想の観点からたどっている。「現代という時代は、近代を前提にして、まさにこの近代の解放した人間の巨大な能力によって、それまでの人間の全く知らなかったような巨大な既成事実を生みおとし、それによって人間が身動きのできなくなった、そういう息苦しい時代であります。(中略)ここでしっかりと目を開かなければ、人間は自分でつくりだしたものに圧倒されて、逆にこの自分でつくりだしたものを拝む。いわば未開人の偶像崇拝にまで戻ることによってこの不安をのがれようとするような、みじめなことになりかねません。しかし、くり返して申し上げましたように、近代とはまさにそういう偶像崇拝をうちこわし、人間をおさえつけている事実のカラクリを見破ることによって開かれた時代でありました」(24-25頁)。「バートランド・ラッセルが、自由・平等から出発した工業社会がますます軍隊的な組織になるのを皮肉った」(176頁)、といった文章が気になった。冷戦は終結したが、イスラエルやアラブ地域の紛争など「巨大な既成事実」が生み出したひずみの弊害はまだ続いている。むしろ、工業社会はいまや人工知能を生み出し、「巨大な既成事実」はますます増大してきているのかもしれない。

 

○久野収・鶴見俊輔『現代日本の思想 -その五つの渦-』岩波新書、1956年

所収されている久野氏の論考「日本の超国家主義-昭和維新の思想」には、明治天皇制のタテマエ(顕教)とホンネ(密教)の区別が指摘されている。伊藤博文は、国民全体には絶対君主としての天皇を信奉させ(顕教)、信奉から生まれる国民のエネルギーを国政に動員したうえで、国政を運用する秘訣としては、立憲君主説・天皇国家最高機関説(密教)を採用したというわけである。「軍部だけは、密教の中で顕教を固守しつづけ、初等教育をあずかる文部省を従え、やがて顕教による密教征伐、すなわち国体明徴運動を開始し、伊藤の作った明治国家のシステムを最後にはメチャメチャにしてしまった」(133頁)。「北(一輝)のくわだてたのは、密教による顕教征伐であった。上からの官僚的支配のシンボルとなった天皇を、下からの国民的統一のシンボルにたてなおすことであった」(149頁、カッコ内引用者追記)。「(吉野作造の)民本主義と普選運動の大きな波涛も、人口の過半をしめる農村を明治顕教の信仰的支配から解放することができなかった、密教の大衆化による顕教征伐は、民本主義の力をもってしても、ついに不成功に終わった」(166頁、カッコ内引用者追記)。久野さんの議論を僕なりに咀嚼すると、軍部だけが統帥権という形式によって、密教なのか顕教なのかわかりづらい立ち位置にあった。だからこそ、北の思想を運動化できたのは民衆ではなく軍人であったのであり、その運動を弾圧したのも軍人であったということになるのだろうか。顕教化によって戦争に突入し、敗戦によって密教化した現在の天皇制は、ある意味で北・吉野両名が目指した方向性と部分的に重なっているのかもしれない。

 

○篠原資明『空海と日本思想』岩波新書、2012年

うーん。この本はなんとも評価が困難である。ねらいは分からなくはないが、その説得力はとぼしいというのが率直な読後感だった。空海は仏教僧としてだけでなく、詩・書などに秀でた芸術家だったこと、鎮護国家というアイデアを提出した政治的思想家でもあったことで知られている。宗教と国家というテーマは、太平洋戦争で国家神道という装置の力が憑き物のように落とされてしまった戦後日本において、真正面から問いづらくなっている。しかし、空海において仏教と国家が分かち難く結びついているならば、このテーマをさけて空海を理解しようとしても片手落ちになってしまわないか。篠原さんの本は、そのような問題意識のもとに、宗教・芸術・政治というあまりに広範囲におよぶ空海の業績をなんとか一元的に理解しようとした作品といえる。ヨーロッパ思想の底流にプラトンを見出したホワイトヘッドに対し、日本思想の底流に空海を見出だそうとしたわけである。しかし、議論の説得力については疑問が残る。例えば、空海の行動指針として「四恩(父、母、国王、衆生)に報いる」を『性霊集』から読み取るのはよいが、なぜ空海がそういえたのかは問われないままになっている。そして、篠原さんはいきなり「四恩」から鎮護国家論を導出しているが、僕がこの本から読み取った限りでは、空海の鎮護国家論は政治思想ではなく、災害や飢饉、病気などの人々の苦しみが癒されるように祈る思想、つまり宗教思想としてしか読めなかった。また、この本の後半は空海思想の変奏として西行、慈円、九鬼周造、宗左近らを解釈する作業にあてられている。しかし、篠原さんが宗左近さんの思想に天皇への報恩が足りないと批判的に論じるくだりでは首をかしげざるを得なかった。日本の天皇が和歌・祭祀を通して19世紀まで国家をまとめてきたというのは世界史上稀な事例といえるかもしれない。しかし、20世紀を生きた宗さんにとっての天皇と、空海の時代の天皇とはその役割が違うはずである。「寂」という字が大日如来の意味を含んでいた(54頁)という面白い指摘はあったけれど、総じて空回り感の否めない本であった。

 

○大野裕之『チャップリン暗殺 5.15事件で誰よりも狙われた男』メディアファクトリー、2007年

○大野裕之『チャップリンの影~日本人秘書・高野寅市』講談社、2009年

チャップリンが5.15事件当日に東京に入り、その夜犬養首相との晩餐会が予定されていたが、急遽大相撲観戦にいったため事件に巻き込まれなかったという裏話を中心に話が展開する。チャップリンの秘書さんが日本人だったことや、その秘書がアメリカで強制収容所生活をしいられたことなど、知らなかったことがたくさんあった。チャップリンの『独裁者』が当初アメリカでも不評だったということにびっくりした。5.15事件を実行した陸海軍の将校たちがイギリス人チャップリンをアメリカ人と考えていたというお粗末振りにも唖然。歴史の歯車は誤解の力が動かしているのかもしれないと憂鬱な気分になった。

 

○京極夏彦『絡新婦の理』講談社ノベルス、1996年

政治と歴史の本で重たい気分になったあと、気分転換を兼ねてよんだら、すさまじい大傑作だった。読み終わってえーっとなって冒頭からまた読み直してしまった。2度目に読むとちりばめられた伏線の多さに驚愕してしまった。おそるべき長編である。

 

○鮎川哲也『死のある風景』創元推理文庫、2002年

鮎川さんの作品は鬼貫警部が感じた些細な違和感から謎がほどけていく過程が醍醐味である。丁寧な描写には派手さはないけれど、昭和という時代に女性がなにを命がけで大切にしていたのかがわかって、その意味でも面白い。

最近、過去の日本を題材にとった話題の映画2作を見た。どちらも密度の高い作品で、久々に全編通してスクリーンに魅せられた。個人的には『この世界の片隅に』のほうに軍配を上げる(理由は後述)。しかし、鑑賞後にいろいろと考えを揺さぶられたという意味では、映画『沈黙』の影響力のほうが強烈だったようだ。相方さんは、『沈黙』鑑賞後に遠藤周作さんの原作を読み始め(僕は10年ほど前に買った原作を未だに読んでいない)、僕は山本七平『日本人とは何か』と谷川健一『魔の系譜』を引っ張り出してきてキリシタンに関する部分を再読した。一向宗と同様にキリスト教が宗教的空白地帯に村単位で普及していったこと。不干斎ハビアンというキリシタン論客として儒教・仏教と対決したにもかかわらず、のちに棄教して排耶蘇の書物を著した思想家がいたこと。バスチャンとよばれる伝説的な日本人伝道師の予言が隠れキリシタンたちの間で守り続けられたこと。西洋のキリスト教が「西方浄土」と重ねられていた部分があること。イエズス会のあとから来日したフランチェスコ会の宣教師たちが、イエズス会とは異なる布教方針をとったことが秀吉の伴天連追放令につながったという指摘など、知らなかったこと(一回読んだはずだがすっかり忘れていた)がたくさん書かれていた。やはり歴史の細かいところまで踏み込んでみると、「人間の愚かさ」や「人間の賢明さ」が、いかに必然と蓋然と偶然の組み合わせが生み出す印象の違いに基づいているにすぎないかを痛感させられる。
 
さて、この2作についてだが、どちらもタイトルと内容にズレがあるところが面白い。『この世界の片隅に』は、「ささやか」であるが「骨太」であり、「片隅に」といいながらも、すずさんが自分の人生を「主人公として」歩んでいく姿が印象的である。むしろ『この世界の中心に』というタイトルのほうがすずさんにはふさわしく感じられる。『沈黙』のほうはというと、熾烈な迫害に直面する信徒たちの命を文字通り助けるという意味では神は沈黙しているが、試練に直面したロドリゴには神の声がはっきりと聞こえる。その意味では『饒舌』というタイトルでもよいかと思われるぐらいだ。
 
そんなことはさておき。映画『沈黙』が惜しかったなとおもうのが、ラスト近くのロドリゴ死去のエピソードの描き方だ。(以降ネタバレあるので、未見の方はご注意ください)
転び伴天連として暮らしたロドリゴが死去した際、ロドリゴの妻が棺に横たわる夫の掌中に何かを滑り込ませたようにみえるシーンがある。最後の火葬のシーンでカメラは炎に包まれるロドリゴの掌中に木製の十字架を映し出す。僕は、そこは描きすぎだったのではないかと感じる。映画としては、妻が何かを滑り込ませたかのように見えるシーンだけで十分だったのではないかと思う。その意味で、この映画は『沈黙』というタイトルにもかかわらず、語りすぎであり、やや説明が過剰だ。もともとマーチン・スコセッシという監督は若干の「くどさ」を持ち味としているので、まぁそれでよいという意見もあるのかもしれないが、ロドリゴが聖画を踏むシーンが素晴らしかっただけに(あのロドリゴの足の動きは心に訴えかけてくるものがあった)、もったいないというのが僕の正直な感想である。もしかすると、十字架をもたずに死んだロドリゴと、十字架を敢えてもたせた日本人妻の信仰観の違いを浮き彫りにさせたいという意図なのかもしれないが・・・。あるいは、ロドリゴが最期に十字架を持っていなければ、「隠れ」た信仰のありようを世界の人は理解しがたいというスコセッシ監督の判断なのか?
 
一方で、『この世界の片隅に』では、明示されず、示唆されるにとどまる事実がたくさんある。僕が一番気になったのは、おそらくすずさんが、お腹に授かったはずの命を失ってしまっていることだ。そのくだりは描かれないのだが、それゆえにあとあとの姪っ子とのシーンの意味が深まってくるように感じられる。
 
何を語り、何を語らないかで映画の印象は大きく変わる。「語られたことの解釈で広がりを持たせること」と、「語られないことで深みを持たせること」とどちらが映画的だろうか。前者をつきつめると黒澤明の『羅生門』となる。『羅生門』は芥川龍之介の同名作品に基づいているが、そのコンセプトは芥川の別作品『藪の中』に多くを負っている。『羅生門』ははじめ日本国内では酷評にあった(らしい)が、カンヌ映画祭でグラン・プリをとったとたんに大人気となった。この経緯は示唆的だが、おそらく『羅生門』が、極端に言えば新約聖書でイエスの物語が四つの福音書の中に別々の視点から書かれているのと似た構成を持っているからこそ、欧米では理解されやすかったのではないだろうか。この仮説がそれほど的外れでないならば、黒澤監督の『羅生門』の魅力は「文学的」といえる。その意味で、僕は後者のほうがより映画的といえるのではないかと思うのだがどうだろうか。
 
その観点から見てみると、『この世界の片隅に』は僕にとって映画的な魅力に満ちた作品である。もちろん『沈黙』も非常に良い作品だと思ったが、「映画的」という視点からは僕は『この世界の片隅に』のほうを評価したい。
 
以下、蛇足。
『沈黙』を宗教同士の争いととらえる視点は至極まっとうに見える観点だが、実は日本においては宗教同士の抗争というものは無いのではないかということを小児科医松田道雄さんは示唆している。キリスト教の教会に通い始めた専業主婦の女性が、姑から「キリスト教は困ります。ご先祖のご位牌を守る人がいなくなります」といわれたらしい。その女性についての松田先生のコメントを引用する。
「信仰は人間の生き方の根本にかかわる深刻な問題です。けれども、私たち日本人の日常では、信仰は何よりもしきたりの問題です。(中略)彼女のなやんでいるのは、仏教とキリスト教との宗教戦争みたいですが、実際はデモクラシーとしきたりとのぶつかりあいです。私は彼女の勇気を期待します。」(『私は女性にしか期待しない』岩波新書、1990年、21頁) 
僕は松田さんの柔らかい言葉に共感する。おそらく遠藤周作さんが『沈黙』で描きたかったのは、正しい信仰の在りかたというよりも、厳しい環境の中でそれぞれ自分なりの仕方で懸命に生きた人々の物語だったのではないだろうか。だからこそ、殉教したモキチ、棄教したロドリゴ、踏絵を踏み続けるキチジロー、弾圧する側の元キリシタン井上様、みなそれぞればらばらな方を向いているようだが、僕には魅力的にみえる。
 
たぶん、人生に善い悪いはない。あるとすれば密度の濃淡だけなのだ。
そういうことにしておきたい。
 
もうひとつ蛇足。
『この世界の片隅に』のすずさんは、玉音放送を聴いて号泣する。その時の正確なセリフは忘れてしまったが、「ここに5人残っている。まだ左手も両足もある」「最後の一人まで戦うという覚悟でこれまでがんばってきたのではなかったですか」「なにが覚悟か!!」というようなニュアンスの言葉だったと思う。すずさんの「覚悟」は、政府の指導者たちや軍部上層部たちの「決断」とはどこか違っているように思う。「覚悟」は、自分の人生を主人公として生きている人からしか出てこないのではないか。その意味で、覚悟とは、決断することや責任をとることとは無縁の、もっと生きることに密着した態度なのである。政府・軍部の上層部とは、自分の人生を主人公としては生きられない立ち位置なのかもしれない。しかし、だからこそ、「覚悟」とは別のところでいろんなことが決まっていってしまい、いつのまにか引き返せないところまでいってしまう、そのような側面があるのではないか。
 
久松真一の『茶道の哲学』を読んでいる。
その中に、『南方録』から太閤秀吉の歌が引かれていた。

“底ゐなき心の内を汲てこそお茶の湯者とハしられたりけり”

そうか。心は汲むものだったのか。

心には底がない。あるいは、心にはいれものがない。
茫漠とした心は、汲まれることによって伝わりうる形を帯びる。

太閤の歌では、汲まれるのが自分の心なのか他人の心なのか、
はっきりとは示されない。

おそらくどっちの意味の心でも解釈できるだろう。

ただ、汲まれる前の心にとって、誰の心であるのかなんて、
どうだってよいことなのかもしれない。

汲むという言葉が俄に気になってきた。

2016年は遠方に行く機会がほとんどなかったが、逆に近場の魅力を探訪できた一年だった気もする。

 

○金勝山金勝寺

2016年3月に妹夫妻が関西に遊びに来たので、3歳の姪、1歳の甥を甲賀忍者村に案内することにした。忍者村にむかう道中、ひそかに行ってみたいと思っていた金勝寺があるからだ。姪っ子・甥っ子からすれば「なんのこっちゃ?」という感じだったと思うが、ちょっとだけおじさんのわがままにお付き合いいただいた。現在、金勝寺までは道路が整備されていて境内近くまで自動車で行くことができる。しかし、道も次第に勾配がきつくなり、お寺どころか、誰か人がいそうな気配を全く感じさせない深い森を車で進んでいくことになる。「ほんとにこんなところにお寺があるの?」という疑義が方々から提出されはじめ、いささか不安ではあったが、googleを信じてひたすら前へすすんだ。すると、突然、森が開け、静かな伽藍が浮かび上がってくる。本当に金勝寺は存在した。一つ一つの建物は大きくはないが、お堂の数は多い。創建は奈良時代、建物は安土桃山時代の再建とのことだが、かつては山中に30以上の坊を構える大寺院だったとのこと。いまでいう比叡山延暦寺みたいな感じだったのだろうか。お堂に安置されている仏像も多く、往時の興隆ぶりがうかがえる。ゆっくりと姪っ子の手をひいて境内を歩いてみた。つまらなそうにしているかと思ったが、地面の落ち葉や木の実をひろったり、苔を見たり、それなりに楽しんでくれた模様。ただし、仏像は怖かったみたいで、素直に仏像見たらそりゃそうだとなんだか納得させられた。そのあと訪れた甲賀忍者村の忍者屋敷は周囲の小山に囲まれた、いわゆる隠れ里であったが、金勝寺もまけずおとらず隠れ寺であった。

 

○繖山観音正寺→観音寺城跡→桑実寺→安土城跡→総見寺

2016年10月。関東から高校時代の歴史好きな友人が仕事で来滋。彼曰く、「観音正寺にいってみたい」とのこと。恥ずかしながら初めて聞くお寺のの名前であり、さっそく調べてみると、佐々木六角氏の居城、観音寺城の名称の由来となった由緒正しいお寺だとこと。毎度のことながら詳しい下調べもせずに行き当たりばったりにJR安土駅から歩き始めた。途中、ヴォーリズ建築・旧伊庭家邸に立ち寄ったりしながら、てくてくと繖山の登山口を目指す。小一時間あるきつづけて、ようやく観音寺城入口に到達。途中、六角氏の館跡にも立ち寄ったが、石垣で造成された平台に竹が叢生しており、なんともいえないもの寂しさが漂っていた。西部劇であればゴーストタウンに当たるのだろうか。かつて人がたくさんいたとされる場所は、不思議なことにどことなく怖い。六角氏の館跡をこえて、さらに登り続けると、山の中腹に観音正寺の境内が姿を現す。開基は聖徳太子と伝わる。古すぎる。残念ながら平成5年の火災により本堂、本尊千手観音は消失されたとのこと。拝観をすませ、眼下の近江八幡の田んぼを眺めながら水分補給。この眺望は今も昔も参拝者の疲れをいやしてきたに違いない。参拝は、寺院そのものだけでなく、寺院にいたるまでの道のりも含まれているのだと改めて思う。

観音寺

観音正寺の境内にある大仏さんの横手から細い道に入って観音寺城跡を目指す。道が草で覆われそうになっており、だんだん心配になってくる。このレベルの細道はgoogle先生も把握しておらず、ひらすら道の痕跡を見失わないよう、足元とにらめっこしながら進んだ。しばらくすると観音寺城入口と書いた看板を発見。立派な石段も整備されており、とりあえず道に迷っていないことが分かって一安心。

観音寺までの階段観音寺城

観音寺城の石垣は決して高くは積まれていないが、石垣自体の場所が山頂にある。よくこんなところまで石を持ってきたなと思っていたが、「この山はもともと巨石がたくさんある山なのではないか」という意見を友人が提出し、なるほどと得心。そんな目で山道を見直してみると、いたるところに大きな巨石が転がっていた。真相はともかく、いろいろな条件を満たす場所だからこそ、寺院・城郭が建てられるのだなぁと、感じた。

 

登ってきた道を逆戻りするのもつまらないということで、観音寺城跡からは養蚕発祥の地とされる桑実寺のほうに下山することにした。巨石の転がる山道を下ること20分程度で、桑実寺の境内に到着した。伝・藤原定恵創建(667年)の古寺である。お寺としては珍しく「くわのみでら」と訓読みばかりなのがなんとなく身近に感じられる。本堂は室町時代の再建。柱のごつごつした手触りが印象的。時とともに、木材は年輪の間の部分が少しずつすり減っていく。名称だけでなく、建物にもなんだか優しさを湛えた寺院だった。

桑実寺

 

桑実寺をあとにして、ふもとの田んぼまでおりると、12時を少しすぎていた。朝9時に安土駅をスタートしてから3時間。おなかもだいぶ減ってきたので、いったん安土駅まで戻り、駅前のお蕎麦屋さんで腹ごしらえ。体力回復してから、安土城を目指した。安土城は建物は残っていないが、壮大かつ精緻な石垣が往時を彷彿とさせる。両脇に重臣の屋敷がある部分の石段はまっすぐに作られていて、防御よりも利便性が追及されていることがうかがわれる。頂上の天主閣跡までは観音寺城にくらべるとだいぶ楽に登れた。やはり足元の石段がしっかりしていると疲れにくい。天主台跡のすぐ近くには織田家の霊廟もあり、安土山全体が織田家の墓標となっているような雰囲気がした。

安土城

帰りは総見寺のほうから下ることにしてみた。総見寺は三重塔の一段目がみえないぐらいの急斜面に立っていた。織田信長が安土城の築城の際に城郭内に建立したと伝えられている。織田信長と言えば比叡山焼き討ちや石山本願寺との抗争が有名だが、彼は仏教を弾圧したかったのだろうか、それとも保護したかったのだろうか。総見寺は臨済宗妙心寺派らしいので、もしかすると信長は、禅宗以外の宗派には厳しかったのかもしれない。やっぱり不思議な人である。

ふもとまでおりると、さすがに疲れが足にだいぶたまっていた。安土駅まで戻る途中、セミナリヨ(カトリックの神学校)跡の公園に立ち寄り、本日の行程終了。かなりたくさん見て回ったつもりだったが、石馬寺、教林坊、奥石神社など、まだまだ行けてなかったところがたくさんあった。安土おそるべしである。