先日、永山則夫さんという死刑囚と、永山さんを精神鑑定した石川義博先生のドキュメンタリーをみた。石川先生は100回を超える面接を通して、永山さんの生い立ちから殺人事件にいたるまでの心の動きを現在でいうところのPTSDの概念(当時はあまり知られていなかった)で説明した。しかし、永山さん本人が、「この鑑定書の中の自分は、僕ではない」と発言したことにショックを受け、石川先生は精神鑑定をやめ、一人の臨床家として過ごされることになる。だが、永山則夫さんは、石川先生の鑑定書を丁寧に読み込み、読み直していた。死刑執行後、石川先生に届けられた永山さん所持の鑑定書には赤線やメモがたくさん書かれていた。鑑定面談最後の日に石川先生がこっそり撮影した写真の中の永山則夫さんは、穏やかで優しい眼差しの青年であり、逮捕時の写真とは全くの別人だった。永山さんは死刑確定後、獄中で小説家として活動し、一部の遺族に印税を送っていた。『無知の涙』は今でも手軽に読める永山則夫さんの代表作である。
ドキュメンタリーをみおわってから、文献を検索して見つけたのがこの本である。石川義博先生の臨床家としての魅力、エッセンスがぎゅっと詰まっている。
内容は、一人の登校拒否・家庭内暴力をおこした思春期青年の約2年におよぶ治療経過からなっている。200頁弱をかけた症例報告といってもよい。治療チーム(精神科医+ソーシャルワーカー)による危機介入から始まり、支援の終了まで積み重ねられた面談でのやりとりが詳細に記されているため、非常にスリリングであり、読み物としても面白い。思春期青年に接する機会をもつ医療者にとって参考になる箇所が多いと思われる。なにより、数多くある精神療法の概説書よりも、この実践書のほうが分かりやすいし、記憶に残りやすい。
石川義博先生は、土居健郎先生の症例研究会で研鑽をつまれている。土居健郎先生の名著『精神療法の臨床と指導』は入手困難な状況が続いており、土居流精神療法の実践例に気軽に触れることができるという意味でも、この書物の意義は大きいと思われる。
個人的には、ちょっとしたいいまわしや、患者・家族の言葉のなかのちょっとしたリスクにすかさず対応していく鋭さなど、参考になる点が多かった。患者さんが納得したように見えるときも、その納得の仕方が「〇〇したらいいんですね」というように、柔軟性に欠ける理解の仕方である場合、機を失わずに、その理解が金科玉条にならないように相対化しておくことが大切である。「人間、なくて七癖」など、しらなかったことわざも勉強になった。もちろん、面接は話された言葉よりも、雰囲気や態度が重要なのかもしれないが、この本に出てくるような言葉を口にしたときに生まれる雰囲気や態度は、きっと患者さんたちの力を引き出しやすいのだろう。
とはいえ、この本から僕が受けた印象は、臨床現場での面接はある意味でシンプルであり、奥は深いかもしれないが、難しいことではないんだなということである。相手の言葉に耳を傾け、その相手のなかのストーリーを読み取り、引っかかるところは質問し、受け手として自分自身の言葉で説明し返すこと。細かい味付けを取り除けば、精神療法あるいは精神科的面接の基本は、日常のいろんな人との「相談」の延長線上にあるのだなという気がした。精神科を受診されるような患者さんは、もしかすると、受診するまで、適切な意味での「相談」によって、困りごとの見通しがついていくという経験があまりにも少なかったのかもしれない。
後輩のみなさんにおすすめしたい本がまた増えた。