Nothingness of Sealed Fibs -27ページ目

Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

2回目の大学生活で、10年ぶりに教養科目を受講することになった。そこでとった芸術学という講義で、教科書に載っている作品について週1回コメントする宿題があった。そのコメントを何回かにわけて記録のためにあげておく。ちょうど8年前のぼくの荒書きである。
教科書には、この繍帳は往生した聖徳太子が行かれた浄土を描いているとある。私がこの作品を選んだのは、「世間虚仮、唯仏是真」という聖徳太子の言葉と、「天寿国の様子を虚仮の現世に再現すること」とが矛盾するのではないかと感じたからである。聖徳太子の言葉を単純にそのまま受け取るのであれば、仏の世界のみが真実であり、人間の世界はウソっぱちである。天寿国は仏の世界であり、その意味で真実かもしれないが、天寿国の様子を繍帳に再現するという行為は人間の営みであるから虚構にあたるのではないのか?はじめに教科書の説明を読んで私はそのように考えた。

しかし、実際に繍帳の写真を見てみると、天寿国の様子が細部まできちんと絵柄になっている。当然、生きている人間はだれも天寿国をみたことはないはずであり、繍帳の絵柄はすべて想像の産物であろう。あるいはすでに天寿国の様子を描く際の手本となるような絵柄が製作当時存在したのかもしれない。その点について私はよくわからない。
 
いずれにせよ、この作品の構図・描写には迷いは感じられない。「天寿国はどんなところか想像しながら描いてみました」という控え目さよりも、「これが天寿国の真実の姿である」という堂々とした自信にあふれる作品になっていると思う。この刺繍は「虚仮」ではなく「真」であろうとしているのだ。
ゆえに、私のはじめの疑問は成立しないことになる。すなわち、天寿国は真実の世界であるから、天寿国を描いたらそれも「真」になるのだ。単純である。刺繍を制作する人間の関与によっては、刺繍の「真」性はまったく揺るがない。別の言い方をすれば、この刺繍において「制作する主体としての人間」はまだ顕在化していないのだ。
 
裏を返せば、「作り手の主張が一切含まれていないことで、この刺繍は「真」たりえている」とも言える。天寿国の描写にのみ徹底したことで、「作者の訴え」などとは無縁の、どこかノンビリしたあたたかい印象を湛える作品になっているのではないだろうか。いやむしろ、この刺繍は、「作者がだれであるか」よりも「天寿国はいかなるところなのか」に注目しているという意味で、「作品」とは呼べないのかもしれない。おそらくたくさんの人が協力して縫い上げたこの刺繍は、いまだ「作品」ではない。

先日、永山則夫さんという死刑囚と、永山さんを精神鑑定した石川義博先生のドキュメンタリーをみた。石川先生は100回を超える面接を通して、永山さんの生い立ちから殺人事件にいたるまでの心の動きを現在でいうところのPTSDの概念(当時はあまり知られていなかった)で説明した。しかし、永山さん本人が、「この鑑定書の中の自分は、僕ではない」と発言したことにショックを受け、石川先生は精神鑑定をやめ、一人の臨床家として過ごされることになる。だが、永山則夫さんは、石川先生の鑑定書を丁寧に読み込み、読み直していた。死刑執行後、石川先生に届けられた永山さん所持の鑑定書には赤線やメモがたくさん書かれていた。鑑定面談最後の日に石川先生がこっそり撮影した写真の中の永山則夫さんは、穏やかで優しい眼差しの青年であり、逮捕時の写真とは全くの別人だった。永山さんは死刑確定後、獄中で小説家として活動し、一部の遺族に印税を送っていた。『無知の涙』は今でも手軽に読める永山則夫さんの代表作である。

 

ドキュメンタリーをみおわってから、文献を検索して見つけたのがこの本である。石川義博先生の臨床家としての魅力、エッセンスがぎゅっと詰まっている。

 

内容は、一人の登校拒否・家庭内暴力をおこした思春期青年の約2年におよぶ治療経過からなっている。200頁弱をかけた症例報告といってもよい。治療チーム(精神科医+ソーシャルワーカー)による危機介入から始まり、支援の終了まで積み重ねられた面談でのやりとりが詳細に記されているため、非常にスリリングであり、読み物としても面白い。思春期青年に接する機会をもつ医療者にとって参考になる箇所が多いと思われる。なにより、数多くある精神療法の概説書よりも、この実践書のほうが分かりやすいし、記憶に残りやすい。

 

石川義博先生は、土居健郎先生の症例研究会で研鑽をつまれている。土居健郎先生の名著『精神療法の臨床と指導』は入手困難な状況が続いており、土居流精神療法の実践例に気軽に触れることができるという意味でも、この書物の意義は大きいと思われる。
 

個人的には、ちょっとしたいいまわしや、患者・家族の言葉のなかのちょっとしたリスクにすかさず対応していく鋭さなど、参考になる点が多かった。患者さんが納得したように見えるときも、その納得の仕方が「〇〇したらいいんですね」というように、柔軟性に欠ける理解の仕方である場合、機を失わずに、その理解が金科玉条にならないように相対化しておくことが大切である。「人間、なくて七癖」など、しらなかったことわざも勉強になった。もちろん、面接は話された言葉よりも、雰囲気や態度が重要なのかもしれないが、この本に出てくるような言葉を口にしたときに生まれる雰囲気や態度は、きっと患者さんたちの力を引き出しやすいのだろう。

 

とはいえ、この本から僕が受けた印象は、臨床現場での面接はある意味でシンプルであり、奥は深いかもしれないが、難しいことではないんだなということである。相手の言葉に耳を傾け、その相手のなかのストーリーを読み取り、引っかかるところは質問し、受け手として自分自身の言葉で説明し返すこと。細かい味付けを取り除けば、精神療法あるいは精神科的面接の基本は、日常のいろんな人との「相談」の延長線上にあるのだなという気がした。精神科を受診されるような患者さんは、もしかすると、受診するまで、適切な意味での「相談」によって、困りごとの見通しがついていくという経験があまりにも少なかったのかもしれない。

 

後輩のみなさんにおすすめしたい本がまた増えた。

先日、知人に誘われ、京都のお寺で開かれた増田起也(ますだたつや)さんのライブに行ってきた。

 

自分より年下の人の言葉や行動で感動することが最近なかったのだが、増田さんの音楽はュージシャンとしての葛藤、アルバイト経験で感じたことが率直な言葉でつづられていて、久々に胸を打たれた。

 

かっこいい言葉でも、贅沢な音楽でもないけれど、地に足がついた言葉、シンプルで思いの秘められた音楽で約2時間のライブは、あっという間に過ぎていった。増田さんん自身が、自分の経験を感じ直し、考え直し、思い直して、音楽にしているという印象を強くうけた。

 

本気が込められた言葉と音楽は心地よい。

 

『朝焼けノープラン』という曲が、僕は一番好きになった。生きるとは、プランを練りつつも、どこかで臨機応変(これを増田さんはノープランといっていると思う)にならざるをえない。お酒をたらふく飲んでしまって迎える朝は・・・身体はきつくても、どこか心地よい。

 

気持ちのいいライブだった。増田さんありがとう!!

敬老の日。92歳の祖父、90歳の祖母、両親と祖父母宅で食事をとった。

準備が大変だろうと、母が仕出し屋さんにお弁当を頼んでくれていたのだが、祖母も手作りのちらし寿司を用意してくれていた。

 

挨拶すると、祖父は「よぼよぼやけど、あと2‐3か月はまだ生きられるやろう」と言っていた。

一昨年は、「あと1年ぐらいは大丈夫」と年単位だったが、今年は月単位になった。

いつもながら、祖父の飾らない現実的な判断力には敬服する。

 

会食をおえて帰途に就こうとすると、祖父から「ワシの古い背広だけど、着れるやろか」と声をかけられた。祖父が出してきたのは、50年前に祖父があつらえた上質のスーツ3着。几帳面な祖父らしく、大切に手入れされており、見た目はほとんど新品みたいだった。

 

「前の法事のときに、お前が着てるスーツはペロンペロンやったから」

「着られそうやったら、50年前のものだけど、着てやってくれ」

 

僕が袖をとおして、「着られるね。なんか、威厳がでそう。学会とかで着たらいいかな」と話すと、

祖父が「うれしいな」と一言、笑顔で返した。

 

祖父のスーツは、今まで僕が着てきたどのスーツよりも、ずっしりとしていた。

大切な機会に祖父のスーツを着て臨みたいと思う。

小倉清先生の本を読んでから、自分の小さな頃のことをよくふりかえるようになった。

保育園の時に母によく注意されていたのが、「呼び捨てはいけない」ということだった。

同級生のガキ大将みたいな子が一人いて、みんなを呼び捨てにしていた。記憶は曖昧だがそのガキ大将氏は回りの子から~君と呼ばれていた気がする。

僕には年少組の時、一人仲の良い子がいて、その子とは普段から呼び捨てで呼びあっていた。多分最初は君付けだったのだが、仲良くなってから、仲の良いしるしみたいにお互い呼び捨てるようになったと思う。呼び捨てられる友人がいるということは何かカッコいいことだった。

だが、母が保育園に迎えに来てくれたとき、その友人との別れ際に呼び捨てたのを、その場できつく注意された。それ以降は、両親が迎えに来てくれるときだけ、呼び捨てをやめて君付けで呼ぶという、使い分けをしはじめた。急に呼び方を変えるのがうしめたいというか、恥ずかしいというか、妙に違和感を感じていたのを思い出す。

アラフォーになった僕は、職場でも、家庭でも、友人といても、いつの間にか呼び捨てを一切しなくなっていた。