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Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

新型コロナウイルスの感染確認の報道が連日されている。特に大都市圏での感染確認のニュースが多い。あらためて、感染症は人が集う大都会の病だなという思いを痛感した。

 

NHKのサイトでみると、日本全体では3月末から大きな感染の波が来ていて、しかも右肩上がりであることがわかる。しかし、各大都市圏ごとに細かく見ていくと、いろいろと今後につながる手掛かりが浮かび上がってくる。

 

■(1)感染の波は2週間ごとにやってくるようだ。

北海道、大阪、兵庫、愛知の経過をみると、2週間という周期が見えてくる。おそらく2つ目の波は1つ目の波の感染者からの二次感染だと思われる。

 

■(2)4月に人が集まる地域で新しい波が起きつつある。

東京、愛知、大阪、京都では3月末から新しい波が始まりつつある。大学新入生、新入社員、人事異動などでいろんな地域から人が集まるところでは、感染の波が起きつつある。日本のなかでも感染への危機意識には濃淡がある。感染リスクの低い地元と同じように都会で過ごしていると、感染に巻き込まれてしまう可能性がある。この新しい波を切り抜けて、次の2週間後の波を小さい波にできるか、それがポイントになるだろう。

 

■(3)北海道、兵庫は感染の波をうまく切り抜けている。

感染者数の推移だけみると、この2つの地域では感染拡大が防げている。

 

結局のところ、感染したとしても、その感染者からの二次感染者が1人以下に抑えこめれば、大流行にはならず、必ず収束していく。しかも感染者が他の人への感染力を持つ期間は限られているのだ。国内で抑え込めれば、学校再開などは見込める。しかし、渡航制限緩和は、外国での流行事情も考慮する必要があるので、学校再開よりも後になってくるだろう。輸入・輸出に影響される業種はかなりの打撃をうけることが予想される。地産地消や、国内で自給自足できるタイプの業種はより打撃をうける時間は短くなるだろう。経済打撃をすこしでも少なくするには、何はともあれ国内感染を早く収束させていくことが最重要である。

 

僕自身は、仕事柄、休日はほぼ外に出ずに過ごしている。積読されていた本をすこしずつ読み進めている。外出できないせいで、敬遠した本を読んでみるかという気持ちになるのも、なにかのめぐりあわせなのかもしれない。

 

余談になるが、東北と山陰の感染者数の少なさは、非常に興味深い。松本清張の『砂の器』では、東北と山陰の言語的な共通性が物語の重要なプロットになっているのだが、この二つの地域のなんらかの共通点が新型ウイルス感染への抵抗力につながっているのかもしれない。

 

<2020年4月12日追記>

4月の移動による波とおもわれる感染拡大は、首都圏でまだ右肩上がりで推移している。関西では大阪以外で減少傾向が見えつつあるが、予断を許さない。今後は、入院しないといけない重症患者さんのための病床不足の問題がでてくる。

 

感染者数だけでなく、感染疑いで総合病院を受診する患者さんの数も重要である。医療機関は、感染者だけでなく、感染疑いの患者さんの診療も行う。自治体のホームページではPCR検査の陽性者と陰性者が両方記載されているが、そもそもPCR検査をしないという判断になっている件数もかなりの数になるはずだ。そこまで想像すると、総合病院で、新型コロナウイルス対策の前線にいる医療者の方々には、かなりの負担がかかっていることがうかがえる。もちろん、通常業務もこなしながらである。

 

感染対応の仕事が増えてくると、外来業務の縮小、緊急でない手術の中止などが今後ありうる。感染対応業務がこれから増えるだろうという大きめの病院では、入院・外来ともに業務軽減を図って、いざというときに備える必要がある。医療者の疲弊が見え始める少し前に手を打っておければよいのだが。

 

非常事態宣言がでた。最初の感染確認から非常事態宣言までかなりの時間がかかったということは、それだけ日本の対策の効果があったという証拠である。ただ、踏ん張れていたことで、現場から離れたところでは危機感が薄れつつあった側面もある。この宣言を機に、もういちど気を引き締めて、感染拡大防止のために自分でできることをやっていこうと思う。5月頭までをどのように過ごすかは、非常に重要な意味をもつ。流行はずっとは続かない、いや続かせないという姿勢でいきたいとおもう。

 

<2020年4月19日追記>

NHKサイトで感染確認者数の報告をみていくと、またすこし見えてくることがあったので書いておく。

 

(1)日曜日、月曜日の感染確認者数が少ない。

現在、自治体によるのだろうが、PCR検査の結果が出るのに一日程度かかるようである。おそらく週末は総合病院だと通常外来がとじているので、PCR検査に提出する検体数が少なくなるのだろう。そのために日曜日、月曜日の数が少なくなっていると思われる。

 

(2)全体の傾向として、感染者数は右肩上がりではなくなった。

右肩上がりでどんどん増える傾向はみられなくなった。緊急事態宣言による外出自粛効果がある程度効果を発揮し始めていると思われる。しかし、それでも感染者数が減少傾向にまではにはいかないのは、外出自粛やテレワークによりかえって濃厚接触となる家族や同居者への感染が起こっていると想定される。マスク、手洗いうがいは、外出時だけでなく、家ですごしているときも感染拡大防止のために大切である。病床がたりなくなると、症状の軽い人は入院せずに自宅で療養というケースがふえてくるだろう。その場合、症状がある家族には家の中でもマスクをしてもらうことが有効であるし、症状のない家族は家の中でも外出時と同じような対応をすることが重要だと思われる。

「イライラした時、どうしてますか?」と急に尋ねられた。

う~んと考え込んで、とりあえず口から出てきたのは、「イライラしたときは、とりあえずしばらくはイライラしてますね」という答えだった。

「え~イライラすることあるんですか?そんな風に見えないですが!」とさらに尋ねられた。

「もちろんイライラしますよ。ただ長いことイライラしてると疲れるんで、あ~イライラするって口に出すようにしてます。イライラのアクセントをイにおいたり、ラにおいたりして、どっちがいまの気持ちに近いかなとか考えてると、段々余裕が出てくるんで、その後に何で自分はイライラしたのかなと考えるようにしてます。自分の傾向をよく知るチャンスなので」と答えたら、質問してくださったかたはあっけにとられていた。

変わった方法なのだろうか?

僕がいままで考えてみたケースを振り返ると、ほとんどの場合、「イライラの原因は他者と自分の内的な時間感覚がずれているせいだ」というところに行き着いた。

なにかテーマがあるとして、そのテーマは急ぐべきことなのか、ゆっくりするべきなのか、その判断が人それぞれで異なることがある。その判断には精神的なゆとりの差も大きく寄与する。タスクが多いときは判断を留保するよりも決断したい、早く結果がほしいという気持ちが強くなる。タスクがすくなけれは腰を落ち着けて取り組む選択肢もでてくる。

時間とは何か。「何か」という言葉をあてるのがそもそも適切なのか。よく分からない。

ただ、人それぞれ、感じる時間の流れのスピードやイメージは異なっているようだ。

僕はまだ未熟者なので、「流れていない時間」という時間論のテーゼにまだ馴染めていない。

大森荘蔵さんの『時は流れず』は積ん読に参戦してからはやくも10年以上経過した。最近になってようやく読みはじめられそうな気配が出てきた。

時は結構流れる。

とある後輩に対して、久々に心底怒ってしまった。もちろん、ガミガミいったわけではなく、後輩からの質問に皮肉で返しただけなのだが。

後輩「シュナイダーとヤスパースはよかったですけど読みました?フーバーはイマイチでした。どう思います?」

僕「どっちだっていいよ。三人とも違う患者さんを診療してたんだから、考えることに差があるのは当然。比較して、違いを味わうのは良いけれど、どっちが正しいかを考えることには意味はないと僕は思う」

後輩「ハイデガーとかデリダ、フーコーとかはどうですか?」

僕「どうでもいいよ。彼らはみな、当時当たり前だと思われていた事柄の偶然性、虚偽性、虚構性、歴史性を顕らかにした人たちだけど、現実に含まれる真実とはなにかを指し示してはくれなかったと僕は思っている。だから、三人とも1000年経ったら忘れられてると僕は予想する」

後輩「先輩がどれだけ哲学できるか知らないですけど…」

僕「哲学はできるできないというものじゃないんだ。そういう知的能力の競争と哲学はなんの関係もない。哲学は、その問題にとらえられて考えざるを得なくなった人が、やむにやまれず行う営みであって、賢い人の格好いいお遊びではない。いや、そういう哲学もあるかもしれないけれど、僕は評価しない」

後輩「先輩は哲学をどう定義するんですか?今の意見のすれ違いは定義がお互いずれてるからだと思いますが?」

僕「どうやったら哲学を定義したことになるのかい?定義の定義とは?広辞苑がなければできない哲学なんていらない、と僕は思う。哲学は一人一人がじぶんの経験と知識から勝手に考えていたら良いんだ。だから、特別な設備や本がなくても、哲学はできる。安価でお手軽な営みなんだ」

僕がまくし立てたせいか、後輩氏は帰っていったけど、僕の中にはなにか嫌な気持ちがくすぶり続けた。後輩の発言は間違っているとか正しいとかではなくて、端的に的外れだと僕は感じたのだが、その感触をうまく言葉にできなかったからだと思う。

いま思い返せば、後輩には弓道をダーツと誤解しているようなところがある。その誤解が、僕の怒りを呼び起こしたのだ。誤解が悪いというわけではない。彼のことが憎いわけではない。ただ、ないがしろにできない怒りが湧いてきた、それを言葉にせざるをえなかった。それだけのことなのだが。

もう四十歳も間近になってきた。

「もう不惑が近づいてるけど、40歳までに不惑になれそうなの?」

先日、唐突に相方さんから鋭い質問がとんできた。

多分、日常生活で迷いまくっている僕の姿をみかねてのお尋ねと思われるのだが油断ならない。

 

とっさに僕から捻り出てきた答えは、「不惑まではまだ無理だけど、惑っても慌てないぐらいにはなってると思う」というものだった。


「ふーん。そうだね。」と相方さんは中立的な反応(=ということはまずまずな感触)だった。

もちろん、慌てるべきときには冷静に慌てられるぐらいにはなっているといいのだが。

孔子ほどに言葉に実感と確信を込められるようになるのは無理だとしても、

自分から出てくる言葉が、自分にとっての真実とつながっているような言葉であってほしい。

そんな風になんとなく願いながら、ときに強く思いながら、日々を積み重ねてきた。

 

自分が考えるのではなく、言葉が考える。

言葉について試行錯誤していると、ふっとしたときに、言葉が勝手に出てきてくれることがある。

そういうときにでてくる言葉は、自分でもびっくりするぐらい「ぴたっ」としていることがある。

 

「文字は殺し、霊は生かす」(第二コリント3章6節)

 

言葉は文字と霊の境界にある。ゆえに、言葉は有限かつ無限、孤独かつ連帯という両面性を持つ。

言葉のこの両面性を矛盾ではなく当然のこととして知解し、かつ信じることのできる人は稀である。

そのような、おそらく大多数の人にとっては全く奇妙におもえるだろうことを考え続けていた僕を、

相方さんはつかず離れず、見守ってくれている。すごい人だなと思う。

 

年をひとつ重ねたら、これまでどおりに歩みを続けていきたいと思う。

2020年になった。なんやかんやでポツポツと勤務日があり、年末年始は自分の実家にも相方さんの実家にも帰省せず。そのせいか、なんだか年が明けた実感がいつもと違う変な感じがする。そのうち慣れるのだろうか。とりあえず、年末年始の記録を覚書いておく。

 

2019年暮れは、関西に帰省してくる友人と立ち飲み屋さんでおしゃべりできたのが良い刺激となった。40歳近くなって「最後の勝負をかける」と研究留学を決めた奴がいたり、サラリーマンして体調崩しながらも念願の博士論文を書き上げた奴がいたり。みんなそれぞれに頑張っているなぁと刺激をもらう。自分を振り返ってみると、学びたいことがとっちらかっていて、我ながら停滞感が激しいのだが、すこしずつ面白いと思うことを学び積み重ねていけたらと思う。

 

年末いろいろやっていた音楽番組のなかで、偶然耳に入ったoffcial髭男dismと海蔵亮太さんの曲に、歌うめーと聴き入ってしまった。日本人ってこんなに歌うまかったっけ?という感じで、喉が黒人に近づいてきてるかもしれんなどとヘンテコな感想をもった。

 

新年初仕事は、すれちがう入院患者さんに「明けましておめでとうございます」といってまわること。ちょうどご家族と外泊に出られる患者さんがおられたので、あいさつすると、「去年はお世話になりました。これから1年に1回の外泊です。1泊だけやけどいってきます」と満面の笑顔でおっしゃられた。とてもうれしそうにされているので、あたたかい気持ちになったのだが、見送りながら、ずっと入院されているというのはやはり悲しいことだという思いがこみ上げてくる。ただ、そういう悲しみの中でもできることはなんだろうと考えて、考えがすすまないままに僕の2020年は始まった。

 

勤務のなかった1月2日は、相方さん帰省のため、一人で『男はつらいよ お帰り寅さん』を観に行く。一番最初に寅さんをみたのは、母と二人、『ロマンス座』という映画館だったなどと昔のことを思い出してしまい、年をとったなぁと痛感。渥美清さんが回想でしかでてこない『男はつらいよ』はちょっとさみしかった。個人的には、時効警察の時効管理課でのやりとりが、寅さんの茶の間のやりとりのオマージュではないか、などとこれまたヘンテコな感想をもった。

 

年明け後、久々に会った後輩が「令和、令和ばっかりで、2010年代が終わったことについて、あんまり言われてないのはどうしてですかね?」と言っていた。なかなか面白い質問だと思う。

 

僕なりに、おおざっぱにこの10年を振り返ってみると、2010年代は、民主党政権のゴタゴタではじまり、2011年に東北の震災があり、そのあとは、ずっと安倍政権が続いていたという印象である。野球でいうと、ソフトバンクと巨人がだいたい優勝していたし、相撲界は白鵬の時代だった。音楽界ではなんちゃら坂なんちゃら、ジャニーズがずっと席巻しているし、映画界ではスター・ウォーズやトランスフォーマー、スパイダーマンなどシリーズ物の話題が多かった。国際政治ではアメリカと中東のいざこざもいまだに続いている。つまるところ、2010年代は同じような構図がずーっと続いている10年間だったような気がする。そして、この構図はおそらくまだつづきそうな気配がある。後輩の指摘への僕なりの答えは次の通り。「2020年にはなったけれど、まだしばらく2010年代と同じ構図が続きそうなので、"2010年代"とまとめる感覚がいまいちピンとこないからではないか」 

 

この「あんまり変わり映えのない感じ」はいつまで続くのだろうか。いや、そういう変わり映えしないようにみえるときに限って、変革への準備がじわじわと進んでいるものである。考えてみると、今の仕事は、病状変化の乏しい時期によい変化をみつけ、病状変化の多い時期にうつり変わらない安定性をみいだすことなのかもしれない。あらためて言葉にしてみると、意図的にへそまがりを続けているだけなのかもしれないのだが。そういえば、最近の僕は「曲げれるヘソを曲げないのはもったいない」「ヘソは曲げれるうちに曲げておこう」というスタンスになっている。久々に会った友人からは「胡散臭さが板について本物っぽくなってきた」と言われたが、極力贋者感を失くしたくないなと思う今日この頃、ではある。

 

93歳と91歳の祖父母から届いた年賀状には、「長きにわたって、友情溢れる賀状を頂き有難うございました。勝手ながら今回を以って賀状交換を取り止めさせていただきますので、何卒ご容赦をお願いします」とあった。祖父母の言葉の暖かさと厳しさに、僕はいつもハッとさせられている。祖父母の名に恥じない孫でありたいと願う。