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Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

僕は、自分ではあきらめが良いほうだと思っている。30歳を過ぎてから、本当にあきらめがよくなった。ことあるごとに「ま、いっか」と呟いている。「身の程を知った」というべきか、「こだわりがなくなった」というべきか。良い意味で、自分に期待しなくなったのかもしれない。

 

自分ではあきらめがよくなったつもりなのだが、周囲からは粘り強くなったといわれることが多い。ありがたい評価ではあるのだが、自分の実感とズレているので、どこが粘り強いのか自分ではピンと来ていなかった。

 

最近、ようやく気が付いた。僕は「ま、いっか」と呟いていたのだが、精確には「ま、今はこれでいっか」と思っていたのだった。なかなか解決しない問題を、今すぐに解決することをあきらめるけれど、いつかチャンスがあればと思いながら、抱え続けていたのだった。むろん、最終的に解決がつかないかもしれないという、根本的なあきらめもちょびっと混ざっているのだが。自分では粘っているつもりはなく、むしろあきらめているつもりだったが、結果的になかなな片付かない問題を棚上げして、保存しておいた。その点が周りからは粘り強いとみられたのだろう。

 

あきらめることと粘ることは、案外似た者同士なのかもしれない。

随分と活動記録をさぼってしまっていた。

2019年、異動とともに万が一に備えて自動車を購入したので、電車で行きづらいところを訪問することが多くなった。

 

□報国山光明寺

割引券をもらったので、もみじの名所、浄土宗西山派本山の光明寺へ。何回も訪れているが、特別拝観最終日のギリギリの時間に到着したので、これまでにない静寂な紅葉がみられた。

 

□根本山神峯山寺 

修験道の本を読んでから興味をもっていた神峯山寺をついに訪問。ものすごい山奥だが、車でいくと意外に便利なところにある。冬の時期なのでこちらも人はまばら。緑の季節に再訪したいところ。

 

□阿育王山石塔寺

司馬遼太郎さんの本でずっと名前だけ知っていた石塔寺。古代の朝鮮と日本の仏教的交流に思いを馳せる。石段を登ると急に視界が開け、山上に大小の石塔がずらっと並ぶ光景が眼に飛び込んでくる。寺院というよりも祭壇とか聖域といった雰囲気に近い。冬の寒い日だったが拝観者はほとんどいなかった。山上をぐるっとひとまわりできる散歩道があって、ゆっくりとあるいていると、自分の身体が地面と天空に挟まれているような不思議な感覚になった。

 

□海門山満月寺(浮御堂)

冬の静かな晴れの日に訪れた浮御堂。この景色は反則だ。救いとか信仰とかと関係ない「美」としての仏教という感じがする。

 

□瑞石山永源寺

暖かくなってきて、緑をみにいった臨済宗の永源寺。川沿いに配置された伽藍は、質素剛健さをたたえている。修行されているお坊さんの姿もみえて、現代に生きているお寺という感じ。山肌、境内を覆いつくす新緑が眩しくて、気持ちよく日光浴できた。

 

□大悲山峰定寺

司馬遼太郎さんの本で知っていたけれど、あまりにも山深くて敬遠していたお寺。『泉光院江戸旅日記』を読んで、昔の修験僧は、こんな山奥まで歩いてきていたのか!と唖然とした。自動車で訪問したのだが、京都北部の山道は細くてすれ違い困難な場所も多く、無事にたどり着くだけで気持ちがどっと疲れた。境内は川沿いに伽藍が配置されていて、永源寺とよく似ているが、舞台づくりの本堂は15分ほど山道を登った山中にある。本堂につくと、眼前の花背の峰と自分が正対しているような気持になった。風が通り抜ける様子が木々の揺れとして「視える」。20分ほど本堂でぼんやりしていたが、運転の緊張感があっという間にほぐれていって、帰り道も頑張ってみようという気持ちがでてきたのが不思議だった。

 

□比叡山延暦寺横川

延暦寺は何度もいっているが、いつも東塔のみで終了していた。今回、比叡山ドライブウェイを通って西塔、横川にはじめていってみた。木々に囲まれた参道は整備されていて歩きやすい。2時間ほどあるいたが、きもちのよい散策ができた。元三大師堂や、法然、親鸞、日蓮、道元ゆかりの史跡もあり、まさに日本仏教の源泉という感じ。峰道からみおろすと、琵琶湖から鈴鹿のほうまでよく見渡せる。比叡山からだと、姉川の戦いとか瀬田川の戦いとか、よく見えたんだろうなという気がする。織田信長が焼き討ちを仕掛けたときも、結構前から比叡山川には信長の動きがわかっていたとおもわれるのだが、どうして焼き討ちされてしまったのだろう?そんなことを考えた。明智光秀が一部のみを炎上させることで、残りのほとんどのお堂を守ったという説があることを、後から知った。

 

□大洞弁財天

佐和山城跡に行った帰りに、登山道の入り口のひとつになっていたので立ち寄ってみたのが大洞弁財天。境内から振り返ってみると、参道、門の向こうに彦根城のちょうど真正面が見えていた。江戸時代らしい彩色豊かな建物も残っていて、意外な穴場だなと思った次第。彦根藩のお守りみたいな立ち位置?ひっそりとした境内をワンちゃんが駆け回っていた。

 

□竹生島

大洞弁財天と同じ日に、彦根から船でいってみたのが竹生島。湖東から訪問するのは初めてだったが、島の崖に都久夫須麻神社の社殿が美しくみえている。宝厳寺は西国三十三か所巡りのみなさんで大混雑。さすが御朱印力。

 

□菩提山穴太寺

亀岡城址をみるついでによったのが穴太寺。丹波亀山の街道分岐点の平地にある。こじんまりとしているがなんだか気持ちがほっとするやさしいお寺。布団をかぶった釈迦涅槃像に触れることもできて、いろんな意味で距離感の近いお寺だった。ちなみに亀岡城址は大本教の聖域になっていて、「みろく会館」で出口王仁三郎さんが明智光秀を高く評価していたという展示がされていた。明智光秀は、謎が多くておもしろい。

 

□両界山横蔵寺

36歳で入定した妙心法師の即身仏があることで有名な天台宗のお寺。飛鳥川がけずった渓谷に伽藍があり、急峻な山肌に挟まれている感じ。橋を渡った先は、城郭のようなたたずまい。石垣も立派で、城塞としての機能もありそうな印象。仁王門の金剛力士がいなくてあれれ?思っていたら、瑠璃殿に保存展示されていた。即身仏は約200年前のミイラ。長年行きたいと思っていたところだけに、間近で拝観できてよかった。西遊記の沙悟浄の正式名称が深沙大将だったと初めて知った。木造深沙大将立像は、表情のユーモアがあって、たまに観に行きたいなと思わせてくれる楽しい仏像(?)だった。

 

□谷汲山華厳寺

西国三十三か所満願のお寺。横蔵寺から車で20分ぐらいだが、雰囲気はがらっとかわって、参拝客も多く、平和でにぎやかな雰囲気。参道のお店もたくさんあって、参拝までの道のりが楽しかった。境内は満願にふさわしい規模。かえりにドイツのソーセージを露店で購入。おいしかった。

 

今期、一番印象深かったのが、廣松渉、五木寛之『哲学に何ができるか』のなかの、「パイプカット手術」のくだり。戦後の非常に貧しい時期を経験したふたりには子供がいない。子どもを育てることよりも、社会を育てるという使命感に生きた人たちがいたということを、この本を読んで知った。カール・マルクスの娘と結婚したポール・ラファルグという人について、折に触れて思い返していきたいと思う。

 

廣松渉の次の言葉も、冗談めかしているが、哲学者、思想家という生き方について考えさせられる。

「ぼくなんか収入や住居のことを考えると、子供なんていたら勉強できないという単純な理由からなんですが、もう少しもとにさかのぼっていうと、コミュニストたるものは結婚しちゃいかんというあの論理ー結婚まではまあ仕方がないということで大目に見てもいいが(笑)ー子供をつくるなんてもってのほかというひと昔前の左翼の倫理というか規範を守ったというべきでしょうか。」(上掲書p.199)

 

僕はどんな倫理や規範を守っているのだろう。「あのときこうしておけば」という風に思わないように、何かをする前にしっかり考えておくこと。僕が守りたいと思っていて、実際に守れていそうなのはそのことぐらいである。

 

読んだ本についてひとつずつ振り返りながら感想をかけたらいいのだが、時間がなかなかないので、あとはリストだけをアップしておく。手に取ったどの本も面白かった。当たり年である。

 

―――――――――以下リストのみ――――――――――

廣松渉、五木寛之『哲学に何ができるか』中公文庫 

三浦英之『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』集英社文庫
宮本正清『焼き殺されたいとし子らへ』みすず書房

石川英輔『泉光院江戸旅日記』講談社文庫
ウンベルト・エーコ『永遠のファシズム』岩波現代文庫
鹿野政直『近代日本の民間学』岩波新書
石川信義『心病める人々』岩波新書

作田啓一『個人主義の運命』岩波新書

土居健郎『臨床精神医学の方法』岩崎学術出版社

山上敏子、下山晴彦『山上敏子の行動療法講義』金剛出版

ベルツ『ベルツの日記 上下』岩波文庫

霜山徳爾『人間の限界』岩波新書

黒田洋一郎,木村-黒田純子『発達障害の原因と発症メカニズム:脳科学の視点から』河出書房新社,2014年

吉川幸次郎『論語の話』ちくま学芸文庫

猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』文春文庫

エラリー・クイーン『シャム双生児の謎』ハヤカワ文庫

松本清張『私説・日本合戦譚』文春文庫

笠原嘉『精神科と私』中山書店

清沢冽『外政家としての大久保利通』中公文庫

村澤真保呂、村澤和多里『中久夫との対話 生命、こころ、世界』河出書房新社

村田豊久『自閉症』日本評論社

村瀬学『自閉症』ちくま新書

清瀬一郎『秘録 東京裁判』中公文庫

池田学『海軍と日本』中公新書

内山興正『進みと安らい:自己の世界』サンガ

内山興正『生存と生命 -人生科講義』柏樹社

内山興正『人生科読本』柏樹社

 

■漫画

安彦良和『虹色のトロツキー』

安彦良和『天の血脈』

安彦良和『王道の狗』

安彦良和『ガンダム the ORIGIN』

大河原康男『GUNDAM THUNDERBOLT』

手塚治虫『陽だまりの樹』

手塚治虫『アドルフに告ぐ』

すこし前のことになるが、週末、祖父母宅にお昼頃来るようにと両親から言われ、いつもどおり遅刻して行ったら、「敬老の日」の食事会だった。

膝と心臓を悪くし、今年入院も経験した祖父は、「すまんこっちゃ」「情けないこっちゃ」と口にすることが多くなっていた。一方で、病院の食事の味付けが薄すぎると、舌鋒は健在。

敬老の日の二週間後は、曾祖母の33回忌。コロナのため近隣の親戚だけで簡単な法事となった。お寺から帰って祖父母宅で赤飯をいただく。曾祖母の思い出を話していたときに、祖母がぽつんと呟いた。

「おばあさんは、ほんまに上手に死なはったなぁ」

僕はお供え物のポッキーをあけてポリポリしていたのだが、その祖母の言葉と声色にはっとした。

曾祖母は急に食事が食べられなくなり、数日往診で点滴を受け、一週間後の早朝、静かに亡くなった。

僕がかすかに覚えている曾祖母は、腰を曲げ、眼鏡をかけて、庭の草取りしていることが多かった。
少し怖い感じがして、あんまり話しかけれなかったことを覚えている。

ガキんちょ時代の僕は、曾祖母に「この人の前では騒いではいけない雰囲気」を感じ取っていたと思う。

老いていくことがどういうことなのか、僕はまだよくわからないでいる。ただ、未来のこととしての「老い」と、現在のこととしての「老い」は、たぶん何かが違っているのだろう。

祖父母は多くを語らないが、僕も最近、口数が少なくなってきているように思う。疲れているのか…?

僕にとって、少しずつ「老い」が身近な問いになりつつあるようだ。

7月からレジ袋が有料になった。スーパーでもコンビニでもレジ袋について尋ねられる。

すでに作られているレジ袋は、できているのだから減らしようがない。でも、レジ袋を使う人が少なくなれば、作られるレジ袋がだんだん減っていくのかもしれない。それが「良いこと」なのかは僕にはよくわからない。

世の中にはよく分からないけれど、まかり通っていることが結構ある。時間があればちゃんと調べたいけれど、そんな暇もない。でも、「分かってないけど何となくやってるんだ」ということは確認しておきたい。

レジ袋を使わなくなって、店員さんの袋詰めテクニック(取っ手をねじる)を見る機会がへったのは、寂しいことである。あの仕草は誰がはじめた工夫かわからないが、全国的に波及していただけに残念である。

先日、近所の古本屋さんにいった。気に入ったものを四冊買ったのだか、おっちゃんは、普通にビニール袋に入れてくれた。その時、おっちゃんが何か言いかけたので、「あ、古本屋さんも袋は有料?」と思って僕は身構えた。

おっちゃん曰く、「おっきい袋しかなくて、ごめんな」とのこと。

いえいえ。なんだかこちらこそありがとうございました。古本屋さんには、世間とは違う時間が流れているようだ。