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Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

ついに祖父が亡くなった。

重病をいくつも抱え、最期の2ヶ月は酸素吸入しながらの生活だった。入院を勧められても、自分が建てた家で死にたいと入院を拒んだ。

亡くなる1ヶ月前まで、自宅2階の寝室まで階段を毎日あがっていた。


「この調子ならあと何時間したら階段を登れるか、それを我輩の体調と相談しながら見極めとるんや」

その祖父の言葉を聞いて、僕はとっさに「おじいちゃんはいつも何かに挑んでるね」と言った。

「そうやわいな。」

祖父は、そんなの当然という口調で返答した。

毎日の新聞チェック、切りぬきが祖父の日課だった。祖父宅を訪れると、参考になるかもと様々な切りぬき記事を渡してくれた。

祖父からは色んな言葉をかけてもらったが、一番教わったのは、言葉よりも、その姿勢だったように思われる。

祖父のように挑み続けられるか。自分を励ましながら、挑む気持ちを自分のなかで絶やさずにいられるか。そう自問自答しながら、祖父から受け継いだ生命を灯していきたいと思う。
 

補足:小学生時代、冬休みを祖父母宅で過ごした時、「明るい心」という書き初めの宿題があった。教科書のお手本通りに僕が書くと、「全然明るさが伝わってこない」と祖父が言い出し、祖父自らがお手本を書いてくれた。祖父の字は、教科書のお手本よりも太くて大きく、明るさというよりも剛胆さを感じさせる字だった。

棟方志功の自伝『板極道』(中公文庫)を通勤電車で読み終えた。

 

禅宗盛んな青森県弘前市で芸術を志し、浄土真宗盛んな富山県に疎開し、数々の仏教版画で知られる棟方志功は、写生に没頭し、写生画終わったときに自然に感謝するとても素朴な人であった。そんな人となりが伝わってくる自伝である。

 

「作品の本当の良さがわかるからだをもたなくては、行っても意味がないと思います。(中略)その絵の本当のものと、自分のもっている本当のものとが融合して、その中から生きてくる感情の密接さ、感情の美しさというものが拡がってくるところに、こういう絵の前にきたという喜び、悲しみが、驚きがわくのではないでしょうか」(同書260頁)

 

「これからのわたくしの仕事というものは、他愛のないものというのでしょうか、そういうものになりたいのです。力とか、欲とか、そういうものが入らない世界、本当に他愛ない世界から生まれてくる仕事、願うことではなく、願われる仕事、そんな慾でない慾を持ちたいものです」(同書280頁)

 

「個の念願ということよりも、衆の念願、普遍の意味の世界から念願かけて、美というものの在り方に近づいていく世界、いわゆる念願を融通されている世界、他人が個のために美を衆にかけている、他力によって融和されている願望というものこそ本当じゃないか、というような思いが、この短い十年で、からだに入ってきたようなきがするのです」(同書281頁)

 

晩年の棟方志功は、「融通不生」「花深処無行跡」という言葉をよく使っていた。この短い言葉に表されているのは、自分や他人の区別が曖昧になり、美と人が融即する世界である。美と宗教の究極という棟方氏のスタイルには、柳宗悦、河井寛次郎らの影響もあるのかもしれない。

 

思想史的にみれば、久松真一の「他律的自律」(『無神論』)といわれる立場と、棟方志功の禅的自律と真宗的他律を融通する立場は相通じるように思われる。しかし、棟方氏は、哲学ではなく、「からだ」で彼自身の立場に到達した。体得したといってもよいかもしれない。

 

久松真一と棟方志功、どちらも笑顔の写真が多い。「本当」、「真実」に根差すことからは、喜びが生まれてくるのであろう。むろん、「本当」、「真実」を追求する道は苦悩でありうる。しかし、僕は、苦悩よりも喜びが通底する営みに、身心を寄せる者である。寄せるというよりも、いつの間にか寄っているのかもしれないが。

心のメンテナンスについていろんな語彙がある。

心を磨く
心を洗濯する
心を掃除する

家のメンテナンスの語彙とそのまま重なっている。

晴れ渡った空はさっぱりとして気持ち良い。
すこし曇った空は味わい深い。
雲だらけの曇天はちょっと窮屈だ。

それは僕の感じ方に過ぎない。

けれど、見えること、聞こえること、それを映す心は、おそらくある意味で分かちがたい。

大森荘蔵さんは、「世界が感情的である」というようなことをどこかで書かれていた。

心と家のメンテナンスについて語彙が共通しているということは、言語そのものが洞察しているということなのだろうか。
マスク生活が始まって約一年経った。

はじめは面倒に感じていたマスクも今では慣れたものである。着けずに家を出ると違和感を感じる。

いまだに慣れないのはメガネの曇りである。冬になって曇る頻度がふえた。曇り止めを使っていた時期もあるのだが、何回もスプレーするのが面倒で、結局曇るままに任せている。曇ると大抵の場合困るのだが、唯一よかったなと思うことがある。

日が短くなり、暗くなると、曇った眼鏡に映るあらゆる光が七色のスペクトラムに分解されることだ。曇る眼鏡をかけている人にしかこの楽しみは味わえない。

ついつい見とれながら歩いているうちに、公園の花壇に突っ込んでしまうこともあった。

いつまでマスクと共に過ごさねばならないのかはまだよく分からない。いまの僕にできることは、消毒・手洗いといった感染予防、体力に余裕を残しておく体調管理、そしてマスクと曇りをちょびっと楽しんでおくことぐらいか。

二度目の社会人生活が始まり、色々なクレームを頂いた。

「訴えるぞ」「殺すぞ」「死ね」「馬鹿」「もっと勉強しろ」「無責任だ」などなど。一般的には罵られているといっても良いかもしれないが、仕事の場では、そう言っている相手の状況、立場を考えて、どういうところからクレームが生じているのか真摯に受け止める必要がある。

不思議なのは、そういう言葉をかけられたとき、大抵の場合、とっさに「どうぞどうぞ」とか「その通りだな」という思いが湧いてくることである。

もっと不思議なのは「死ね」と言われたときだけ、「そりゃ、あなたに言われる筋合いではない」と自分のなかに怒りが出てくることである。逆に「殺すぞ」と言われたときはあんまり怒りがでてこない。「死ね」と「殺すぞ」の違いはなんなのだろう?

 

後者は脅し文句なので、言っている本人が強く怖れているということの裏返しであることが多い。対して、前者は命令形である。ということは僕は命令されることがいやなのだろうか。いや、そうではない。「もっと勉強しろ」と言われたときは、命令形で言われたのにその通りだなと思ったのだから。単に命令されるのが嫌だというわけではないはずだ。

ではなぜ、僕は「死ね」と言われたときに怒ったのだろうか。多分、それは、僕が「なぜ人は生きて、人は死ぬのか」という問題が成り立たないように思っているからだ。別の言い方をすると、いつの間にか僕は、自分の意志で生きる、自分の意志で死ぬという感覚を持てなくなっている。つまり、自分は生きているとか、死んでいるとか、自分だけでは言い切ることができないような、そんな感じなのだ。だから、「死ね」と言われたとき、「それは僕の力でできることではない」「あなたに命令されてできることではない」という思いが出てくるのだろう。


昨年末に小川修先生のガラテヤ書講義が発売された。小川先生や瀧澤克己先生の仕事から僕が勝手に理解している神は、人に「生きろ」とも「死ね」とも言わない。ただ、人に「あなたはどこにいるのか」と呼びかける神である。

人が生き、人が死ぬ。僕はこの文章を、客観的な表現としては受け入れるが、主観的な表現としては受け入れない。おそらく、僕はそういうへそ曲がりなんだと思う。

 

そういえば日常の言葉では生死というが、学問になると死生学とか死生観という。生きると死ぬの順番が入れ替わるのは面白い。