Nothingness of Sealed Fibs -17ページ目

Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

第49回衆議院選挙が終わった。全体をみると、「自由民主党と立憲民主党が議席を減らし、その分、日本維新の会が議席を増やした」とまとめられると思う。その他の政党は微減・微増あるものの、ほぼ横ばいであった。日本維新の会は関西では躍進したが、全国的な結果は出せていない。その意味で、明確な勝者のいなかった選挙、どの政党も負けた選挙といってよいかもしれない。

 

もう一つ示唆的だったのは、沖縄の小選挙区で共産党と社民党が議席を確保したことである。僕の勝手な想像だが、この沖縄での選挙結果には米軍基地問題がおおきく寄与していると思う。亡くなった翁長知事と国政の戦いは記憶に新しい。基地問題は地方自治体の政策レベルで戦いきれない、国政に影響を与える衆議院選挙によってしか自分達の意見を主張できないと考える人がたくさんいるということなのだと思う。逆を返せば、基地問題のような国際情勢、地方自治などが複雑にからんだ問題以外の論点では、共産党、社民党の主張は支持を得られにくくなっているという事でもある。

 

共産党と社民党はどうして沖縄以外で支持をえられにくくなっているのだろうか。両党は福祉の充実を主張している。福祉の充実は、財源と人材が許すなら、なるだけやった方がいいと思われていることであり、反対されにくい主張である。だから、公明党や二つの民主党もすこしずつ異なった福祉政策を掲げているし、地方自治体の首長もしょっちゅう表明する。福祉だけでは政党としての独自性を打ち出しにくいのである。

 

共産党と社民党は大企業への課税強化も掲げている。しかし、多くの日本人が、「自分の働く会社の業績が好調になってほしい」と「会社が倒産したときの社会的保障制度を手厚くしてほしい」であれば、前者を選ぶのでなかろうか。「企業をもうけさせます」という自民党的な主張と比べると、「倒産したときのセーフティネットを強化します」という共産党・社民党的な主張はどうしても後ろ向きに響く。大半の日本人は、「一所懸命に働いたらなんかよい結果が付いてくるはずだ」という楽観的で前向きな世界観を持っているか、あるいはそういう世界であって欲しいと願っているのだと思う。そういう人々にとって、共産党と社民党の主張は「あまりに冷徹で夢がない」という風に受け取られるのではないだろうか。

 

では、なぜ両党が少数の議席を確保できているかというと、単純に党是の特色があるからということに尽きるのではないか。両党の勢力的に、国政への影響力を期待して投票する支持者は少ない、つまり政策面での期待はしていないと思われる。むしろ、支持者たちは両党の長年の党是に期待して投票しているのである。共産党にはおそらく政権与党への監視役、社民党は旧社会党の主張継続を期待している人が多いと思う。

 

それにしても、沖縄というところは不思議である。政治・軍事・交易の面では前衛の立ち位置であるが、感性や信仰や思考の面では古来のものが残るという意味で後衛の立ち位置にある。共産党・社民党の議席が沖縄で守られたことはいろいろなことを考えさせる。

 

議席を伸ばした日本維新の会についても考えてみる。日本維新の会は大阪を主な基盤としつつ、政策については「是々非々」を標榜し、安易に他の政党と選挙協力しない姿勢を特色としている。しかし、大阪の色合いが強すぎて、全国政党になるのは困難とおもわれる。全国政党を目指しすぎると、地方自治を基盤として発展してきた党としての特色が薄まるというジレンマもある。「是々非々」は政策論争の面では合理的な姿勢であるが、是々非々を判断する基準、すなわち党是に注目すると、日本維新の会の党是は既成の保守政党と大同小異であることに気づく。是々非々を判断する基準となる党是の特色が薄いということは、日本維新の会は全国的な政党になればなるほど、自民党と習合していくリスクがあるというこどである。

 

立憲民主党については、経緯が複雑すぎて難しい。僕がぼんやり生きてる間に、ちょうど新進党ができたり、社会党がボロボロになったり、民主党ができてマニフェスト選挙が始まったりした。民主党は自民党との二大政党制をめざして、イギリスの二大政党制がおこなっているマニフェストの発表を選挙に持ち込んだ。ここが面白いのだが、イギリスでは、二大政党制が成り立った後にマニフェスト発表が始まったが、民主党はマニフェスト選挙をすることによって二大政党制を実現しようと目論んだのである。つまり、時間的な前後関係を逆転させているわけだ。結果がどうだったかというと、民主党は二大政党制をつくるのに失敗したとおもう。むろん政権を担った時期に原発事故があったりとか運が悪い面も考慮が必要だが、最盛期の社会党が自民党と張り合っていたような長期的な二大政党制の時期を、民主党は作れなかった。民主党の後にできた勢力も同様に自民党に張り合えるまでには至っていない。

 

民進党、希望の党、立憲民主党など、統合・分離が繰り返されて混沌としている。この混沌の始まりには、マニフェスト発表があると僕は思う。もともといろいろな勢力が合流してできた民主党であるから、マニフェストを発表して党としての結束を強めるという意味合いもあったかもしれないが、マニフェストのとりまとめ自体に党内で苦労することもあったろうし、一度発表してしまったマニフェストは自らの足枷となってしまう。また他の党との比較ができてしまうことから、主張の細分化がおこり、主張が煩雑になっていく。煩瑣な文章を読み込むには時間と労力がいるから、有権者が読む気を失いやすいと僕は思う。

 

宗教改革期のヨーロッパではカトリックとプロテスタントが対立したと考えられているが、実はプロテスタントの内部でも様々な対立があった。ルター派やカルヴァン派だけでなく、教会ごとに信徒が相談して信仰告白を発表し、細分化・対立を繰り返した。日本の政党の趨勢と宗教改革を比喩的に重ねてみると、自民党がカトリックで、民主党がプロテスタントにあたると考えると分かりやすい。だとすると、共産党や社民党はユダヤ教に該当するのかもしれない。

 

今回の衆議院選挙は、どの党にとってもよい結果とはならなかった。では人々にとって良い結果となったのだろうか。

先日、京都に住む大叔母が89歳で亡くなった。今年の3月に亡くなった祖父の妹に当たる方である。

仕事明けに、眠たい目をこすりながら京都に向かった。お通夜はいけなかったので告別式には間に合いたいと思っていたが、渋滞に巻き込まれ、叶わず。

家族葬の会場につくと、少し前に出棺したあとだった。火葬場を訪ねようとしたが、1家族10人までの入場制限があり、訪ねても中に入れないとのこと。コロナは収束傾向とはいえ、こんなところにも影響を与えている。

2時間ぐらい一人で待つことになったので、会場の周囲を歩くことにした。ゴミ箱があれば捨てようと思い、朝御飯がわりに食べたお菓子の袋と、ベンチがあれば読もうと思って本一冊を手に取った。菓子袋は本の頁の間に挟み込む。

一旦黒ネクタイを外し、とりあえずコンビニがありそうな方へと思って歩いていると豊国神社があった。鳥居の周囲にめずらしもの市なる出店がでている。店主と思われるおじさんが、「あかんな。この前北野さんでも全然あかなんだけど、◯◯さんとこは最後の最後で刀が20万円で売れたらしいで。そんなんが出てくるとおもろくなってくるなぁ」と話している。そういうことを考えている人がいるんだなぁと思うと面白い。境内では七五三だろうか、着物姿で写真をとっているご家族がいた。豊国神社の隣には方広寺があり、有名な「国家安康君臣豊楽」の鐘が残っている。実際に見てみて、鐘の大きさにビックリしたが、鐘楼の天井にも絵が施されているのにもビックリ。太閤が造らせた石塁の巨石も、秀頼が造らせた鐘も実に豪華であった。豪華なエリアに立っている立派な家屋の壁には、「家族葬儀場に反対」と書いた貼り紙があった。お寺のすぐそばでどうして?と不思議に思う。お墓がOKで葬儀場が×という人々はどんな感覚をもっているのだろうか。

豊国神社を一回りして、鴨川方面に向かう。和菓子やさんとか、うなぎ屋さんとか、いろんなお店が並んでいる。眼鏡店には「コンピューター検眼」という看板が見えた。川端通までいくと、正面橋がある。久々の鴨川をわたりながら、東山方面を振り返ってみた。火葬場から上がっているはずの煙はよく分からない。

正面橋はなんの正面なのか考えてみたが、橋を渡りきって納得。橋の道筋はまっすぐ太閤廟に向かっているのだ。橋の欄干に菓子袋を挟んだ本を置き、鴨川の水面と曇った空をぼんやりみていると、突然少し強めの風が吹き、本のページが開いて、菓子袋は風に運ばれて鴨川に落ちてしまった。流されていく菓子袋をみていると、大叔母さんは亡くなったんだなという思いが湧いてきた。ふと、我に返ると、ひとつ北側の松原橋?や川端通を自動車や自転車がたくさん行き交っている。

正面橋で黒ネクタイを締め直し、ゆっくりと会場に戻ると、紅葉を背景に優しい笑顔をたたえた大叔母の遺影が迎えてくれた。学生時代、急に遊びにいっても快くご飯を食べさせてくれたことなど、大叔母さんにお世話になったことが思い出される。

火葬場から親族がもどり、そのまま初七日の法要とお食事会となった。静かに食べた仕出しのお料理は一つ一つ手がこんでいてとてもおいしかった。

大叔母さんの遺骨に手を合わせ、家路についた。
 

与党総裁選挙が終わった。一回目の投票で、報道では一番人気があった(といわれている)K野氏の得票が伸びなかった。その時、発表を見守る記者たちか「おーっ」という喚声が上がっていた。おそらく予想外の結果だったのだろう。

政治力とは「大方が予想していない結論に導くための介入力」のことである。と、僕は勝手に思っている。

おそらく喚声をあげた記者達にとっては、与党重鎮らの政治力は強大なものに映ったと思われる。記者達を驚かせることができて、与党首脳部はシメシメと思っているに違いない。

ちなみにI破元官房長官は「党員票と国会議員票がずれているのが問題だ」と述べておられた。この言葉は裏を返すと、「党員票で圧勝していたK野氏を国会議員票でうっちゃった重鎮らの政治力はすごい」といっていることになる。こちらも与党首脳部からはシメシメというところだろう。

そもそも現与党は、小選挙区制度という巧妙な仕組みを遥か昔から準備し、国民の政党支持率と各政党の国会議員数の割合が乖離した状態を作り出すことで長期政権を維持している。すごい政治力と言わねばならない。

しかし、である。僕にとって与党総裁選の結果は「あまりにも予想どおり」であった。K野さんは、下野しているときでないと総裁になれる可能性が非常に低いことは僕の中では常識的な予想である。今回の総裁選で一番予想外だったのは記者達の喚声がおきたことであった。そんな僕からすると、与党の政治力はたいしたことがないように見える。

政治とは、自分と相手の関係のなかから物事を決めていく技術である。だから相手がどういうスタンスなのかによって、政治力が働く方向は変わってくる。K野氏が総裁選に勝つとしたら、議員票で逆転を狙う相手の戦略を旧態依然と見なして、そのようないつものうっちゃりを予想していることを明言し、そこからさらにうっちゃり返す方向に議論を持っていけばよいのではなかったか?と、素人の僕は考える。

なんとなれば、予想することは、それだけで政治力を持つからである。

数ヵ月前に良く立ち寄るコンビニエンスストアで続々と支払いが自動化されたレジが導入された。

店員さんかバーコードをピッと読んでくれると、客のほうで支払い方法を選ぶシステム。電子マネーでも現金でも払えるのだが、圧倒的に電子マネーのほうが早い。

それまで電子マネーに全く疎かった僕であるが、いつの間にかあらかじめ入金して払うスタイルが普通となってきた。

財布のなかの小銭が減ってありがたい面もあるのだが、手持ち小銭が減るということは、レジ横にあった募金箱が減ることでもある。そう予想していたら、案の定募金箱をみかけなくなったところと、置いたままのところあがるようだ。この先、どうなるか興味をもって観察している。

電子マネーで支払いはじめてから、財布の小銭を減らすために何か買うということもなくなった。僕の場合、コンビニの駄菓子を買わなくなった。

それもなんだか寂しい気がする。

ただ、神社のお賽銭や、お寺の拝観料、教会の献金などではずっと紙幣や硬貨が使われるだろう。そういうやりとりまで電子マネーにしてしまうのは違和感がある。停電すれば使えなくなるシステムにすべてを託すわけには行かない。

電子マネーを良く使うようになってから、反動なのか、お寺や神社を訪ねるとお賽銭を欠かさなくなった。

思い返すと、小学生時代、塾に通うためにはじめて定期券を買ってもらった。家族の中で電車の定期券を持っているのが僕一人だったこともあり、急に大人びた気がしたものである。当時は駅員さんに見せていたが、数年後には自動改札機が登場した。今ではICOCAで済んでいる。

これまで新しい技術の登場に何度ビックリしたか数えきれない。だが、いつの間にか僕は、古くから変わらない事物にビックリすることが多くなったように思う。歳をとったということなのだろうか。

スポーツの祭典が無観客で開催され、閉幕した。緊急事態宣言の下での開催となり、賛否両論はあったが、現時点ではコロナ新規感染者数は収束傾向にある。無観客での開催に踏み切った首相の判断は、感染コントロールの観点からは及第点といえる。

東京の感染状況とは縁遠い地方に住む僕としては、アスリートの真剣勝負を観戦できてとても良かった。何はともあれ大過なくスポーツの祭典を終えられたのは首相の英断によるといっていい、と僕は思う。しかし、その首相は支持率が低下し、選挙も敗退してばかりで酷評され、自民党の総裁選挙に出ないという。

元首相は、少なくとも前首相のように思い付きのパフォーマンスやお金のばらまきはしなかった。前首相のように難局を前にして体調を崩したりせず、火中の栗をしっかり拾ったと思う。「自分の言葉で説明していない」と批判も浴びたが、医療逼迫や感染爆発を喧伝する専門家の意見を元首相ははねのけて祭典を開催した。説明はともかく、首相なりの判断をされていた、と僕は思う。

菅首相は、タイプとしては福田康夫首相に似ている気がする。このタイプのリーダーは、実績に比べて支持率や人気が低い傾向にある。お二人とも、ホームランもないが、大間違いもしないタイプである。1つの判断ミスが致命的になってしまうような難局では無難な仕事をされる政治家だと思うので、お二人とも今後歴史の評価が上がってほしいと思う。

祭典後のお弁当廃棄なども報道された。食糧難の国のことを考えればけしからん、無駄はいかんという意見はごもっともである。だが、今の経済体制は、壮大な無駄をしないとお金が回らない構造になっている面もある。そして、そもそも祭りとは、無駄づかいすることである。祭典の無駄性を批判するならば、祭典を必要とする現在の経済構造も批判しなければならないだろう。

感染を気にしながらの生活も一年半をこえた。緊急事態が日常化し、やや厭戦気分が漂う。ワクチン接種率が増えて国内の感染が下火になったとしても、変異株の発生や海外からの流入のリスクはまだ続く。

お金のない国は、外国からワクチンを買えない。崩壊するといえるような医療体制が元々ない国もある。政府には日本国内が落ち着いたら是非、海外の感染対策にも乗り出してもらいたい。感染流行地があるかぎり、ワクチンの効果が乏しい変異株出現のリスクが続くからである。