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Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

仕事に必要でかつ重要な文章ばかり読んでいるとたまに全然違う分野の本を読みたくなってくる。言い訳かもしれないが(?)。僕には、流行や本流を避けて、忘れられていることや傍流に面白みを感じてしまうという悪癖がある。この4月からも悪癖が顔を出し、しばらく積読解消委員会に時間を充てた。

 

そこで読んだのが都留重人、『近代経済学の群像』、岩波現代文庫、2006年。この本は都留重人さんが選んだ経済学者の評伝と理論の紹介からなっている。続編の『現代経済学の群像』も合わせて読んだのだが、『近代…』のワルラスの項にしびれた。都留重人さんは、日本の中国出兵に抗議したために帝国大学へ進学できなくなり、ハーバード大学で経済学を修めたという気骨のある経済学者である。戦後日本の第1回経済白書に携わったことでも知られる。戦後80年を過ぎて、第1回の水準を超える白書はないと言われている(五百旗頭真『戦争・占領・講和』中公文庫、2013年、p.348)。


この本の中で印象深かったのが、オーギュスト・ワルラスが息子レオン・ワルラスにかけた言葉である。

 

「静かに行くものは健やかに行く。健やかにいくものはしばしば遠くまで行く(イタリアのことわざ)」

「真とは信ぜざるを得ざるもの、善とは実践せざるを得ざるもの、美とは愛せざるを得ざるものである。真善美以外のことに心を思いわずらわしてはならぬ。これが思慮ある人間の真のつとめである。」

「不毛にして危険な一切の仕事を蔑視すること、今日ではもはや真理の力以外の力は存しないこと、偏見や誤謬に対しては明徴の光と論証の静けさとをもってこれに打ち克つべきこと、そして働く階級の未来にのみ救いがあること」(前掲書,pp..62-66)

 

学問という険しい道を歩む息子にこのような言葉をかける父がいた、ということに僕は心を打たれた。

 

この本には他にも色々な経済学者がでてくる。これまで名前を全く知らなかったジョーン・ロビンソンという女性経済学者の「経済学を学ぶ意義は、経済学者に騙されないためだ」という言葉にもびっくりした。経済学は もともと人々の貧困・飢餓・失業をどう減らすかを考えるところから始まった。しかし、国家の政策決定に経済学が大きな役割を果たすようになると、お金儲けや社会統制のための経済学へと変質していく。それがいいことなのかはよくわからない。ただ、経済学のスタートに人々の厳しい生活をなんとかしたいという思いがあったということは、たまに思い出すに値する。そう僕には思われる。

ウクライナとロシアの武力衝突はまだ続いている。国連は一般市民の人道支援を頑張っている。停戦に向けた交渉のニュースも聞こえては来ているが、まだ妥結していない。EUやイギリス、アメリカはウクライナへの武器・備品、金銭的援助を続けつつ、ロシアへの経済政策を強めていっている。

先の見通しはまだまだわからないが、いくつか気になった点について述べる。

 

ロシア軍の蛮行というニュースが報じられ、それをゼレンスキー大統領が批難している。もちろんロシア兵の行為が事実であるなら、許されざる事態である。しかし、である。一国の元首たるもの、ロシアと本格的な武力衝突が起こった場合には、そのような蛮行は起こりえる、ということを予想した上で武力衝突を選択すべきでなかったか。

 

プラハの春で、ソ連の武力による威嚇をうけたドプチェク氏は、「武器を持たない国民を危険にさらすわけにはいかない」とソ連の圧力に屈した。僕は、ドプチェク氏の決断は立派であったと思う。ハンガリーやポーランドもソ連の軍事的圧力に対し、武力衝突を回避する選択をとった。戦争中のソ連のおぞましい振舞いを、2つの世界大戦期に身をもって体験していたからに他ならない。当然ながら、大戦の勝者となったソ連の蛮行は戦争犯罪には問われなかった。国際紛争で戦争犯罪で裁かれるのは、残念ながら敗者のみなのである。

 

ゼレンスキー大統領がどこまで、ロシアの行動を事前に予想していたのかは分からない。しかし、予想した上で決断しなければならなかったと思う。ゼレンスキー大統領は、ソ連時代も含めて、ロシアが軍事的な圧力をかけた時に、正面から武力で対抗した初めての国家元首だと思われる。ゼレンスキー氏の主張は、強大な武力とのゲリラ戦を率いる部隊長の意見として聞くならば非の打ちどころがない。地下鉄での会見、カーキ色の服装、SNSを利用した国際社会への発信などは見事である。国際社会は圧倒的にウクライナを支援し、ロシアを批難している。でも、国際社会がゼレンスキー氏を指示すればするほど、プーチン氏を、ウクライナの背景にある強大な欧米と渡り合う勇敢な指導者として輝かせてしまう可能性がある。

 

プーチン氏はこれほどまでにウクライナが抵抗するとは思っていなかったのではないか。過去の東欧諸国の事例に鑑みて、賢明な指導者であれば、ロシアとの正面からの武力衝突を選ぶはずがないと思っていたのではないか。プーチン氏最大の誤算は、ゼレンスキー氏が老獪な政治家ではなくて、シンプルな正義漢だったという点だと思う。

 

ウクライナ側はできるだけ長引かせて、国際社会の援助をうけながらロシアの疲労を待ち、できるだけ戦局を押し返した状態で停戦に持ち込みたいはずである。一方、ロシア側としては、できるだけ早く目的の地域を実効支配し、停戦としたいはずである。ゆえに、早期停戦を実現するためには、ウクライナ側が歩み寄ることが現実的だと思う。少なくとも、プーチン氏が武力衝突を終わっても良いと思える成果あるいは名誉ある撤退の道を用意することが重要になる。

 

どうして早期停戦が必要なのか。お互いをたたきのめすまでに戦おうとすると、戦闘が長期化し、だんだん周囲の他の国々も巻き込まれて、大戦争に発展しかねない。第一次世界大戦は、当初数ヶ月で終わると思われていたが、参戦国が増加し、戦力が拮抗し、戦線が膠着すると、そこから4年にわたる消耗戦となり、おびただしい人命が失われた。

 

コロナが長引くと緊張感が薄れ、感染を減らそうという意欲が減少し、このままでもいいかという気持ちが出てくる。同様に、武力衝突も長期間続くとそれが当たり前のようになり、緊張感が薄れ、惰性で戦闘が続くようになる。誰もがやりたくないのになかなか終わらない紛争になる前に、武力衝突は異常で非常な事態であるという緊張感が残っている間に、なんとか停戦にこぎつけなければならない。いまこそ、真の政治力の出番であると僕は思う。

3月末で退職されるスタッフの方を少人数で送別する機会があった。会の最後に、真面目で誠実なその方らしく、出席した一人一人にメッセージを下さった。僕は光栄にも「豊富な知識を持ち、全力で仕事に向かっている」との評価を頂いた。

怠けているように見えていなくてホッとしたというのが第一感。僕なりに全力を投入しているポイントが、どうやらその方にはバレていないようだというのが第二感。知識が豊富に見えるかもしれないのは、僕のほうが長生きしているのだから当然だというのが第三感。

第二感について付け加えると、僕の実感では、「全力でなんとかしたい」というよりは、「ついついなんとかしたくなってしまう自分の気持ちを全力で抑えている」という表現のほうがぴったりくる。その意味では、「全力で何もしない」と言い換えても良いかもしれない。

自分ならこうするのになと思っても、その方法が相手にとって適した方法かは分からない。仕方がないので、アドバイスしてしまいたい気持ちと全力で戦いながら、「う~ん。難しいですね~、どうしましょうね、まぁなんとかなるとは思うのですが」と全力で唸っているのである。

相手に適した方法がなんだろうと考えることは、本当に難しい。相手の特性も理解しなければならないし、相手の能力で実行できる方法でなければならない。本気で唸らざるを得ないのである。そして不思議なことに、こちらが本気で考えこんで、唸っていると、いつのまにか(見兼ねて?)相手の方がご自分で方法を編み出してくださったりするのである。

 

何もできそうにない場合でも、全力を込めて「できそうにない」と言ってみることはできる。人間は痩せ我慢ができるという稀有な生き物だからである。

 

第一感について付け加えると、「全力に見えている」ことが大事なのであって、自覚的には多少の余力を残している感覚がなければとても毎日の仕事はこなせない、と思う。全力「であるかのように」仕事に向かうということには、単純に一生懸命やるのとはまた違った難しさと面白さがあると思う。

ウクライナとロシアの間で武力紛争が始まった。2月24日のことである。ロシアは数年前にも、グルジア(ジョージア)でも今回のウクライナと同じ方法で武力紛争を行っていたらしい。僕は不勉強にしてそのことを知らなかった。ロシアからすれば、ジョージアのときと同じことをしているだけなのに、なんでウクライナとの紛争になると急に国際社会からの批判が厳しくなるのか、なぜいまさらという感じなのかもしれない。単純にアメリカの大統領がトランプ→バイデンへと変わったためなのだろうが。

 

ウクライナとロシア、どちらも「相手が先に仕掛けてきた」と主張している。この種の論争には決着がつかないと思われる。盧溝橋事件の真相がいまだに謎なのと同様である。ただ、どちらが先に仕掛けたのだとしても、ロシアがウクライナ国内に武力侵攻しているという事実は、国連憲章1章に記載されている内容とは明らかに方向性を異にしている。日本国内の報道では、ロシアを弾劾し、ウクライナを支援する意見が多い印象がある。日本の政府も、ロシアへの経済制裁など欧米と足並みをそろえた対応をとっている。

 

たしかに、プーチン大統領の決断にはとても賛成できない。だが、僕はどんな立派な演説をしようとも、どれだけ国際社会から応援されようとも、自国の市民を戦闘に巻き込んでしまったゼレンスキー大統領にも責任の一端があると思う。国家元首は、自国の領土を守ることと国民の命を守ることと、どちらを優先すべきなのだろう?僕には、領土よりも人命を優先すべきであると思われるが、いかがか。

 

僕の乏しい世界史の知識では、ロシアにとってウクライナという土地は、非常に複雑な意味をもっている。帝政ロシア時代、ウクライナはロシアの一部であった。その後、第一次世界大戦のとき、帝政ドイツの猛攻により、レーニンはポーランドからウクライナにかけての広範な地域を放棄するという屈辱を味わった(ブレスト=リトフスク条約)。その後第一次世界大戦はドイツの敗戦に終わり、ドイツは大戦中にロシアから獲得した地域を放棄した。この空白地域で、バルト三国、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、ジョージアなどが独立した。しかし、それらの国々は第二次大戦後はソ連の連邦下に入ることになる。このように、戦時の勢力争いで定まった国境だから、ウクライナ国内には、ウクライナ系住民が多い地域だけでなく、ロシア系住民が多い地域も含まれることになった。このことが、今回の紛争の遠因となっている。

 

第一次世界大戦後、ロシアとドイツの間の空白地帯に生まれた国々は、ソ連崩壊後に再び独立した。ウクライナやジョージアは、EU(あるいはNATO)とロシアの間に挟まれて、国家誕生のときから、微妙なかじ取りを求められる立場にあったのである。そのような経緯があるため、武力紛争勃発後、EUでリーダー的な立場にあるドイツは積極的な動きをみせないままである。

 

僕は、単純に「命をかけるに値する国家・理想・信仰なんてない」と考えている。ニュースで見たウクライナ市民が「私たちはウクライナのために戦ってるだけではない。自由と民主主義のために戦っているのだ」と言っていた。でも僕は、もしも自由と民主主義が人間にとって本質的なことなのであれば、領土が削られたぐらいで、あるいは国家が無くなったとしても、自由と民主主義は消滅しないはずだと考える。むしろ、戦闘によって自由を愛する市民が死んでしまうことの方が、自由にとっては危機である。自由は、戦うことによってではなく、生き延びることによって守られる。そう僕は思う。

 

どんな強権的な独裁国家であろうと、人間の行動する自由は奪えても、人間の考える自由を奪うことはできない。フランス革命、ソ連崩壊などの歴史をみると、すべての圧政は民衆によって終止符をうたれた。時間がかかるかもしれないが、今のロシア政権がやっていることは、いずれ成り立たなくなると思う。

 

ウクライナの人々にも、ロシア軍の兵士にも、僕が言いたいのは、「命をかけなくてよい」、これだけである。一刻も早い停戦を期待したい。

 

追記:政治に関してよくわからないとき、僕がとりだすのは丸山眞男さんと森嶋通夫さんの本である。森嶋さんは『政治家の条件』(岩波新書)のなかで、「戦勝国よりも敗戦国のほうが国家観が進歩する」と指摘している。先の大戦の敗戦国である日本の国家観はどう進歩したのか。ウクライナでの停戦・平和構築に、日本はどのような貢献ができるのか。ウクライナ紛争により国際連合が戦争を防ぐ機能を失っていることが明白になった。満州事変・日中戦争により国際連盟が有名無実化した後に訪れたのはポーランド侵攻から始まる第二次世界大戦であった。国際連合が無力化した今、ウクライナ紛争が長期化するとより大規模な戦闘につながるリスクがある。核爆弾投下や原発事故という未曽有の経験を生かしきれていないようにみえる日本ではあるが、先の大戦後、国家間の武力衝突を一切してこなかったという実績には説得力があるはずだ。敗戦し、出直した国だからできる停戦への貢献があるとおもわれる。

第二次大戦初期にドイツに侵攻され、領土をほぼ失ったフランス政府は、ド・ゴール将軍が亡命することで政権を維持した。ルイ14世政権に弾圧されたプロテスタントはスイスやアイルランドに亡命したことで、生き延びた。ユダヤ人は国を追い出されたが、信仰と文化を維持した。昭和の日本は、余力を残した状態で敗戦を認めた事で、分割占領を防ぎ、復興につなげることができた。ウクライナの人は、何を守り、何を残したいと思っているのだろか。

 

さらに追記:一般に、戦争を始めるにはかなりのエネルギーが必要になる。しかし、一旦始まってしまうと、戦争を続ける方が、戦争を止めるよりもエネルギー―が少なくて済む。だから、始まってしまった戦争は残念ながら双方がある程度消耗するまで続くことが多い。戦争ははじめないのが一番良い。

 

ひとつ訂正(2022年5月5日):ジョージアとロシアの間に起きた南オセチア戦争(2008年)当時はアメリカはブッシュ大統領政権だった。

千葉に住む大叔父がなくなった。92歳だった。大叔父と面と向かって話した時間は決して多くはなかったが、ちょこっと耳にした大叔父の一言がいくつか印象深く記憶に刻まれている。大叔父は僕の一回目の大学の大先輩にあたる。直接言われたわけではないのだが、なにかの法事の時、大叔父の奥さん(大叔母)から「親戚で同じ大学の後輩ができて喜んでいましたよ」と教えてもらった。

大叔父は戦後すぐの受験組であり、当時の大学は実質的に現代の大学院に相当した。大叔父は大学入試科目の第二外国語(ドイツ語)を独習するという離れ業をこつこつとやりとげた。祖父宅には大叔父の使っていた勉強机、ドイツ語原書(マルクス『資本論』、ヘーゲル『小倫理学』!)が置いてある。

大学を卒業後、大叔父は上場企業の要職を長く勤めた。海外出張も多く、アフリカ以外はほとんどの国に行ったことがあるという。長らく人事の仕事に携わり、「人材の配置で見誤ったことは一度もないよ」とさらっとおっしゃっていた表情が懐かしい。定年退職後も出身企業の顧問を務めながら、新聞に毎日目を通し、庭の芝の手入れを欠かさず、文字通り晴耕雨読の日々を過ごした。

昨年秋ごろから体調を崩した大叔父は、認知症の大叔母の介護をしながら、自宅でヘルパーさんの助けを借りながら過ごしていた。心不全が悪化し、痰が絡むようになってヘルパーさんに夜間泊り込みをお願いするようになったのが昨年末という。2月に入り、大叔父は痰を吸引してもらったヘルパーさんに「サンキューベリーマッチ!」と笑顔でお礼をいい、翌朝に静かに息を引き取っていた。大叔父夫妻には子供がいなかったが、大叔父はヘルパーさんたちのおかげで自宅生活を続けることができた。介護保険制度はすごい制度である。

お葬式のため、初めて大叔父の住んでいた千葉郊外を訪れた。関東平野は山が少なく、開放感がある。大叔母が大声で泣いていた。初めて見る姿だった。別れの式には大叔父の出身企業の方や、ヘルパーさんも来てくださっていた。会社では「普段は非常に穏やかで優しいけれど、怒るとものすごく怖い人」だったという。僕からみても、大叔父には「穏やかな迫力」があり、迂闊な、生半可なことはうっかり口にできない雰囲気があった。お骨を拾い終えて式は散会となった。もう大叔父と直接話すことはできないが、僕なりに大叔父から感じ取ったことを受け継いでいきたいし、また大叔父のことを思い出すことで新たに気付いたり学べたりを続けていけたらと思う。

東京駅で帰りの新幹線を待つ間、途中下車して丸の内のジュンク堂を訪れた。すこし店内をうろつき、2年前に新しく訳された聖書協会共同訳の聖書、原田誠一先生の新刊を購入した。関西へ帰る新幹線の中で、早速、聖書協会共同訳のロマ書3章22節を確認した。「神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じるものすべてに現わされたのです。そこには何の差別もありません」となっていた。以前の新共同訳は「すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません」と訳されている。新たな聖書協会共同訳は、小川修先生が繰り返し指摘されていたピスティス(真実、信仰)の訳し分けに配慮した訳文になっていると思う。

 

自宅に戻り、you tubeでも見ようかとパソコンを開けてみたら、なんと滝沢克己先生のマタイ書講義の動画が公開されていた。すでに出版されている講義と同じ内容ではあるが、滝沢先生の話される様子が、そのトーンも含めて気軽に見られるというのは喜ばしい。大叔父を見送った日に、ロマ書3章22節の新たな訳文を読み、40年以上前に行われた滝沢先生の講義を見ることができた。別れと出会いが凝縮された忘れ難い一日だった。