1年に1回、矢作俊彦さんの小説を読んでいる。
去年は『悲劇週間』を通勤電車で読んだ。矢作さんの作品は家でゆっくりしているときに読むよりも、移動中のほうがなじむ気がする。
今年は『ららら科學の子』(文春文庫、2006年)を読んでいる。同書91−92ページで交わされる主人公と義父の会話にしびれた。
義父は、人民公社が飢餓を生んだと指摘し、次のように続ける。
「腹が減るから皆、怒りやすくなる。空腹が生む怒りは他人にしか向かわない。民、食をもって天と成すだ」(同書92頁)
色々な争いの起源に空腹がどれほど関わっているのかを思うと、しばらく続きを読めなくなってしまった。
矢作さんの作品には、合理性が第一に優先される社会のもつ危うい側面が、滲んでいる。それゆえ、矢作作品の登場人物は、しばしば複数の合理性を架橋し、いわばメタ合理性を生きることになる。
僕は矢作作品を読むと、高倉健さんの映画を思い出すことが多い。どうしてそうなるか、まだ自分でもうまく説明できないでいる。
■追記
展開が加速する後半を読了し、いくつかの文章にが心に残った。
「主義が間違っていたとしても、主張は間違っていなかった」(同書402頁)
「いい映画ほど、気楽には見られない」(同書474頁)
「戦う相手も方法もそう的外れじゃなかったって。間違いは、戦う理由だ」(同書521頁)
この本を読んで、僕には、鉄腕アトムの戦いが人間的に、人間同士の戦いがむしろロボット的に見えるようになっていた。