「胸に手を当てる」、「頭を抱える」など、自分の手で自分の身体に触れる動作がとっさに出ることがある。
「考える人」は手を顔に当てている。これはいったいどういう意味をもつ動作なのか気になってきた。
自分の手を自分の身体に当てると、冷たい感覚と温かい感覚の両方がする。おそらく手は冷えているので、手の皮膚は顔の皮膚に触れて「温かい」という信号をおくり、顔の皮膚は手の皮膚に触れて「冷たい」という信号を脳に送るのだろう。理屈ではそう理解できる。
しかし、手を顔に当てながら感覚に集中しても、「温かい」「冷たい」のどちらが手の皮膚の感覚なのか、どちらが顔の皮膚の感覚なのか判然としない。
そこでふと思ったのは、「冷たい」「温かい」という信号を両方受け取っている「自分」を感じるために、人は自分の手で自分の身体に触れるのではないだろうか、ということだ。
「自分」を感じるということが、どんな意味を持つのかは分からない。ただ、僕はストレスが多かったり頭が忙しくなった時に手で身体に触れることが多いように思う。もしかすると、手で身体に触れると情報処理量が多くなったときに情報による負荷を減らす作用があるのかもしれない。あるいは、情報の多さに引っ張られて考えが散らかったときに、落ち着きを取り戻す意味があるのかもしれない。
どうして話が佳境に差し掛かると手の動き「ジェスチャー」が増えるのか、そのあたりも気になってきた。