中井久夫先生の口癖であったとどこかで読んだフレーズをタイトルにしてみた。いくつか気になることについて書きたかったからである。
先日、NHKの「こころの時代」で福島県宝鏡寺住職の早川篤雄さんの回を観る機会があった。福島第二原発の地元である楢葉町で、原発建設時から反対運動をおこなってきた早川さんは、原発事故に遭遇し、檀家さんや運営していた障害者施設の利用者さんたちと伴に避難を余儀なくされた。画面の中の早川さんは、飾らない口調で、事故後の悲しい出来事、あるいは住職をつとめるお寺の檀家から太平洋戦争に出征してなくなった人たちのことを語られていた。早川さんは、太平洋戦争への仏教界の協力体制、原発事故に対してどちらも「なんなんだ、これは?」という素朴な気持ちを持ち続けた人なのだと感じた。福島第二原発が建設されたときに、建設地の条件として「人がすくないこと」、「首都圏への送電コストがかかりすぎないこと」が挙げられていたことを僕はこの番組で初めて知った。早川さんが大学時代に増谷文雄氏の宗教概論を受講されたときのことを話されていて、僕は、積読になっていた増谷文雄氏の新書『ブッダ』を段ボールからとりだすことになった。
あとは、職場でおきた変化の話。一昨年から職場で人事評価制度がはじまった。昨年からはサンクスメッセージの運用がはじまり、毎月今月のメッセージ数というメールが送られてくるようになった。家で家族に話すと、人事評価もサンクスメッセージも、世間の流れらしいとのこと。組織に所属して仕事ができているありがたみを軽視するわけではないが、僕はどこかでいつも個人商店として自分を規定しているので、組織が自分になにを求めているかという点はさておき、今の自分にどれだけのことを期待できるか、今の自分はどの部分を伸ばしていくべきなのか、あるいはどの部分でほかの人の助けをかりるべきなのかを意識しながら業務に臨むようにしている。あまりに自分勝手な自己規定ではあるが、結局のところ、組織が何を期待してくれようとも、そのときの自分にできる範囲のことしか対応できないのだから、と僕はいつものくせで「詰まるところ」まで考えてしまう。そのためなのだろうか、人事評価制度にもサンクスメッセージにも、いま一つあるいはいま二つ身が入らない。困ったものである。
最後は、NHKの「こころの時代」で早川さんのひとつ前の週に放映された宗教学者山折哲雄さんの回について。90歳を超えられてお元気な山折さんのインタビューは、思索者ではなく歩く旅人としてブッダやイエス、芭蕉らを捉えなおす視点、「何者にもならない人」、「人間が最終の、心の、精神の頼りにするものは、無、空、幻、それぐらいの覚悟で生きていく以外にない」、「妄想三昧、昼寝三昧。無、空って言ってた方が楽だな。最後はその辺で死んでいくか」といった言葉が印象に残った。山折さんも早川さんも同じ東北地方に生まれ、同じように親鸞に影響をうけておられるが、それぞれに違いがある。僕の印象では、山折さんの闊達な笑顔と、早川さんの優しいけれど寂しさの漂う笑顔の違いが、原発事故という途方もないできごとのもたらしたなにかによって生じているように思われた。