寝正月のテレビ鑑賞記 | Nothingness of Sealed Fibs

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見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

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今回の年末年始は、体調があんまりよくなく、家で寝正月。久々にテレビ番組をたくさん拝見した。リアルタイムの番組もみたが、サブスクリプションにより、いろいろな番組がみれるのも便利である。いくつか番組の感想を書いておく。

 

■「探偵!ナイトスクープ 年忘れファン感謝祭」

大晦日が休みの時は、たいていこの番組を見てしまう。笑いあり涙ありの興味深い回ばかりで本当に面白かった。この番組では「ノリ」が重要な要素を占めていると思うのだが、この「ノリ」から僕は大乗仏教や小乗仏教でいうところの「乗≒救済のための乗り物」を連想してしまった。個人的にB'zの「ウルトラソウル」のサビのリズムで漢字「個」を書けるという謎の指摘がツボにはいった。

 

■「第75回紅白歌合戦」

年末はいろいろな歌番組が放送されるが、演出の気合入りっぷりはやはり紅白が別格だと思う。元日が仕事でない年は何だかんだで見入ってしまう。まずぐっときたのは、星野源のギター1本のディタッチメント全開(要は暗め)の「ばらばら」からSuperflyのハイトーンがすごい「Beautiful」の流れ。星野源の淡々としたパフォーマンスは、表情も演奏も歌唱も群を抜いて地味であり、それはそれで目立っていたのだが、そのあとのSuperflyの「Beautiful」は星野源とは真逆のストレートな伸びやかなパフォーマンスで、両アーティストの良さが引き立つ演出になっていたと思う。もう一か所はB’zのサプライズ登場で「ウルトラソウル」が流れ、いそいで「個」を書いているうちに、ニューヨークからの藤井風「満ちていく」中継に切り替わった流れである。B’zはロックとポップスの融合という意味で世界最先端にいるアーティストだと常々思っている。音を聞いただけでB’zと分かるという意味で、ある意味ジャンルを超えたアーティストだと思うのだが、藤井風の「満ちていく」もジャンルがよく分からない曲であった。キュルキュルとしたギターの演奏に重なる仏教的な歌詞(手放すと満ちていくとは、まさに仏教ではないか?)が藤井さんのウェットな声に乗ってニューヨークの朝に響いている情景は、B′zとは違う意味で突き抜けていて印象深かった。2024年11月頃に同志社大学での佐藤優さんの講演をオンラインで聞いて、佐藤さんが、「紅白歌合戦最後の蛍の光」から「ゆく年くる年」への急な切り替えに日本の宗教性は現れていると指摘されていて、なるほどと思ったことも追記しておく。

 

■「新春生放送!東西笑いの殿堂2025」

漫才・コント中心の番組が多い中で、NHKならではというか落語や講談も交えながらいろいろ楽しめるところがこの番組の面白いところだと思う。テンションで乗り切ったり、伏線を回収したり、ちょっとひねったり、笑いだけでなく、「ほ~ぅ」となるほど感を持ってしまうパフォーマンスもみられるのだ。芸人さんの目のつけどころは本当にすごい。勉強になった。

 

■「新宿野戦病院」

 まだ2話までしか見ていないのだが、このドラマは傑作である。第一話で、もはや現代の名優といってよい気がする小池栄子さん演じる岡山出身の日系アメリカ人軍医が、「平等な命を雑に助ける」という名言を放っていた。西洋の医療が技術として人々の信頼を得るようになったのは、戦争医学の進歩によってであった。戦争医学には、兵士の階級ではなく重症度によって治療の優先順位を決めるという思想があり、戦場であるからその場でできる精一杯しかできないという一種の「雑さ」がある。その戦争医学の特徴を、西洋医学の子孫である現代医学も引き継いでいる面があるわけだが、「雑である」ことに自覚的な医療者がどれぐらいいるだろうか。

 戦争医学を離れて日常生活での医療について考えてみると、興味深いことに、国民医療保険制度のないアメリカは、江戸時代の日本のように、お金を持っている人しか十分な医療を受けられない。すなわち、ものすごい丁寧な医療がある一方で、ものすごく雑な医療もあるのがアメリカである。一方で、国民医療保険制度がある日本では、病状の重篤さに応じて手厚さが変わるようになっており、手厚さの差をもうけることで、雑さはなるべく均等になるように配慮されているように思う。「丁寧な医療」と「手厚い医療」が微妙に異なった概念であることがミソである。「厚生労働省」という監督官庁の名称が如実に示している通り、日本の医療は「手厚さ」を目標としており、実は「丁寧さ」を目指していない。もちろん、日々の臨床で個々の医療者が「丁寧さ」を目指すことは推奨されるだろうが、保険医療の範囲という制限があり、どこかで「雑さ」を許容せざるを得ない場面がでてくるのである。この本質的なポイントに気が付かせてくれた点で、このドラマは殿堂入りである。宮藤官九郎さんはどうやってこの台詞を思いついたのだろうか。ちなみに僕がこのドラマを見ようと思ったのは、とある職場の勤務初日に、ベテランの看護師さんから「ここは野戦病院ですから」という言葉をかけてもらったことが、ものすごく印象に残っていたからである。3話以降が楽しみだ。

 

■「虎に翼 総集編」

相方さんの恩師から届く面白い年賀状を毎年楽しみにしているのだが、そこでこの朝ドラが激賞されていたので総集編を鑑賞してみた。このドラマでは女性の法曹界への進出や原爆裁判、尊属殺重罰規定違憲判決などが描かれているが、法律もゆっくりとではあるが時代とともに変化しうる存在なのだと感じた。また、昭和期の法律界に、学んだことを社会に役立てようと奮闘した人たちがたくさんいたことを知って、頭の下がる思いがした。戦ったり、守ったりするために学ばなければならないということは医学でも言えることだと思うのだが、「やれるだけのことはやったのだ」と常に自分に言えるようにしておくことは、なかなか骨が折れる。いろんな壁にぶつかりながら、一生懸命に学び続けた人たちがいたということは、とても励みになる。もちろんドラマとして楽しめる内容なのだが、朝ドラとしてではなくて教育テレビの番組として放送してもよい作品なのではないかと感じた。