エッセンシャルな職種はない。 | Nothingness of Sealed Fibs

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見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

コロナ流行とともにいくつかの新しい言葉がよく聞かれるようになった。「不要不急」「緊急事態宣言」など。なかでも、最近気になるのが「エッセンシャル・ワーカー」「ブルシット・ジョブ」という言葉だ。

僕は「職に貴賤は無い」と常々思っている。つまり、workやjobとして成り立っているならどんな仕事もエッセンシャルであり、本来はブルシットな仕事なんてない、そういう立場だ。

でも、workやjobになっていない仕事というのはあると思う。自分なりの工夫が乏しく、資料や材料の無駄遣いに終わっている仕事のことである。「生産」にならず、「消費」になっている仕事と言ってもよい。

ある仕事がエッセンシャルなのか、ブルシットなのか、それは職種で決まるのではなく、仕事に対するその人の取り組み方によって決まってくる、と僕には思われる。

真摯に仕事に取り組めば、その仕事はエッセンシャルになってくる。他人に無駄と言われようが自分にとってはエッセンシャルになっていく。そういうものではないだろうか。

そう考えているうちに、消費者としてではなく、生産者として仕事をするということは、結構難しいことのように思えてきた。しかも、本人がどれだけ工夫したくても、時間や量の圧力で仕事に真摯に取り組むことが許されなくなることはよくある。僕は多忙でも自分なりの工夫を諦めたくないと思ってはいるが、なかなか良い工夫など簡単には思いつかない。仕事をすることは結構大変なことなのである。

ちなみにエッセンシャルワーカーの例として挙げられる教育・医療・福祉の職種は、いずれも明治時代以降に全国に広がった仕事である。明治以前はエッセンシャルでなかったのは言うまでもない。