ウイルス感染症流行について その6 | Nothingness of Sealed Fibs

Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

元首相の名前を関したマスクの処遇が話題になっている。保管や配布に多額の税金がつぎ込まれたからである。

もともとマスクがコロナウイルス感染症に対してもつ科学的な効果は微妙である。◯ベ◯マスクが配付された当時、コロナウイルス感染症が飛沫感染で広がることはすでに分かっていた。飛沫感染はマスクを外した会話を伴う飲食の時に一番リスクが高まる。ただ、わかっていても、マスクをつけたままで食事はできないし、食事をせずには生きていけない。非常に感染リスクが高い場面でマスクは使えないのだ。

 

マスクが最も効果を発揮するのは、感染者の咳や会話時に飛沫が拡散する範囲を限定させる点である。新型コロナウイルスは無症候感染があり、症状が無いからといって自分が感染していないとは言い切れない。だから公共の場でマスクをすることには、「私は仮に無症候感染していても、飛沫を周囲に飛ばさない配慮をしています」と周囲に伝えることになる。その意味で安心を伝えることにはなるかもしれない。一方で、感染していない人がマスクを着けて、ウイルス吸入を防ぐ効果は限定的である。だからこそ、咳をこんこんしている人こそマスクをつけたほうが良く、自分が感染するのを防ぐにはマスクよりも食事前の手洗い・うがい、共用部分の消毒の方が圧倒的に大事だ、ということになる。


そう考えると、元首相のマスク配布政策は、費用にみあった感染拡大防止の意義には乏しかったと言ってよいと思う。だが、大金が投じられた政策である。マスクの効果については元首相もその周囲のブレーンも分かっていたはずである。にもかかわらず、元首相はなぜマスク配布に踏み切ったのか。

おそらく「マスクが手に入らなくて不安だ」「マスクをつけないと公共の場に行けない」「ウイルスに対する防御がない状態では不安だ」という世論の大きさが、元首相を動かしたのだと思う。もしかすると、元首相は、科学的な感染拡大防止効果よりも、「政府は本気で感染対策をやる」という姿勢を打ち出す効果を狙っていたのかもしれない。だとすれば、マスク購入・配布・保管に要する・要した巨額は、日本人の不安が、その軽減のために必要としたお値段だということになる。政策の善悪を言うのは難しいけれど、◯ベ◯マスク配布によって、政府の本気度の周知、マスク不足に対する不安軽減は、ある程度はあったのではないかと僕は思う。

 

ただし、問題点もあったと思う。〇べ〇マスクのウリは「洗って何度も使いまわしができる」という点であったが、実際に〇べ〇マスクが配布された時期にはすでに使い捨てマスクの生産が進んでいて、なんとかドラッグストアでマスクが入手できるようになっていた。つまり、〇べ〇マスクは、元首相が発案・発言してから使い捨てマスクが入手可能になるまでの短い間だけ抗不安効果を発揮し、実際に〇ベ〇マスクが国民に届いたときには敢えて使わなくてもよくなっていたのである。その意味で、手元に届いた実物よりも手元に届く前の虚像が効果を発揮するという、まさに不思議の国ジャパン的な政策であった。これほど不思議なマスクの保管・配布にかかるといわれる巨額が、果たして実物なのか虚像なのか、そのことも僕にはなんだかよくわからなくなってきた。一つだけ思うのは、使い捨てマスクの生産・流通の回復に早期に気付き、その時点で軌道修正していれば、〇べ〇マスクが大量に余ることもなかったのではないだろうかということぐらいである。

 

オミクロン株が若年層を中心に広がり、感染者は多くなっている。幸いなことに若年者での重症化率は低いが、高齢者では頻度は少なくても重症化してしまう場合がやはりあるようだ。僕は、オミクロン株が軽症化する方向に進化していると思われるので、長期的には歓迎すべき傾向だと考えている。果たしてどうだろうか。