暦の上では年末であるが、仕事場は・・・。今年は研修に追われて、記事をあまりかけなかったので、簡単に今年のニュースについてコメントしておこうと思う。
(1)ジャーナリストのむのたけじさんがついに亡くなった。僕は90歳過ぎてからのむのさんしかしらないのだが、戦前を知る貴重な書き手がいなくなってしまった。100年以上、日本を見続けてきたむのさんの率直な発言の数々は、ブレつづける日本社会のブレ幅を測る指標となり続けた。むのさんの残した言葉は少なくない。しかし、その言葉はとてもシンプルなところに根差していたように思う。また時折、むのさんの文章を読み直していこう。
(2)ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した。僕がディランを知ったのは、一回目の社会人時代の同期に教えてもらってからだった。その後、みうらじゅんさん原作の漫画をもとにした映画『アイデン&ティティー』を観たりして、だんだんディランについて考えこむようになった。ディランの音楽は不思議だ。うまい歌ではない。楽器演奏のテクニックがとびぬけている感じもしない。痩せ細った身体から発せられるしわがれた声で淡々と歌われる彼の音楽は、どこか寂しく、寄る辺のなさがありながら、はっきりと力強い。「All ya can do is do what you must. You do what you must do and ya do it well. 」(『Buckets of Rain』)。ずいぶん前から受賞するのではないかと言われていたので、少し遅すぎる受賞なのではないかという気がしないでもない。ただ、このタイミングでの受賞となったということは、ある意味興味深い。小説家、文豪の時代が終わりつつあり、再び詩の時代になってきたのではないだろうか。
(3)アメリカ大統領選挙が終わった。選挙結果はどうあれ、急にオバマ大統領の白髪が増えたように思うのだが、気のせいだろうか。両候補ともとっても高齢で、アメリカでも政治家の人材不足は深刻なのではないかとうかがわせる。若手候補もいたのだが、党内の候補者選びで脱落してしまった。若手政治家の人気がでてこないというところに、アメリカ政治の制度疲労を感じ取るのだがどうだろうか。そういえば、オバマ大統領が広島に来たり、安倍首相がハワイを訪問したり、日米関係もひとつの区切りのタイミングにきた気がする。
(4)喪中のはがきを多くもらった。そういう年齢になったということだろうか。我が家でも大叔母、相方さんの祖母が亡くなった。法事に出る機会も多かった。以前は、四十九日とか、一周忌とか何の根拠があってやってるのかなと懐疑的に思っていたが、最近は、そういった時間の間隔になんらかの生理学的なリズムとの関連があるのかもしれないなと感じる。治療のタイミングを生理学的に考えておられる中井久夫先生の本を読んだ影響だろう。昔の人が時間をかけて決めてきたことにはそれなりの洞察に基づいている、と考えてみてから、法事に臨む心構えがようやくできてきたように思う。
(5)アニメーション映画が豊作だった。今年は映画を3本みたが、『名探偵コナン 純黒の悪夢』、『君の名は。』、『この世界の片隅に』とすべてアニメだった。家でDVD鑑賞したのが『怪盗グルー』のシリーズと『ミニオンズ』の3本。こちらもすべて3Dアニメーション。週末にゆっくり映画館に行く時間が少なくなったのは確かだが、時間ができたときに上映されている実写映画に心惹かれる作品が少ないというのは残念。まぁ田舎に住んでいるので、単館系の作品はほとんど観に行けないから仕方ないのだが。ただ、アニメばかりになってしまうのは、「この人がでている作品はみたいなぁ」と思える俳優さんが少なくなっているという感覚がどこかにあるからで。
映画館で観た3作品について簡単にコメントしておく。『名探偵コナン』については、もはやご挨拶の感覚で観に行ってるので・・・。『君の名は。』は、『ざ・ちぇんじ』と『海がきこえる』という二つの氷室冴子作品を合体させたところに、宇宙という新海監督得意のテーマを絡めた感じ。RADWIMPSの劇中音楽もよく合っていたし、完成度の高い映画だった。『この世界の片隅に』が個人的には今年観た作品の中で一番良かった。「絵」の力、声優さんの声の力、時代考証(敗戦の日に太極旗が掲げられたり、アメリカの新型焼夷弾への対策をけなげに研究する軍部と民衆の姿など)の力、どれも見応えがあった。戦争、原爆、空襲は実写だとどうしてもキツイ映像になってしまいがちだが、絵によって描かれることで、「リアリティーのある映像」よりも「つい魅入ってしまう表現」になっているように思う。焼夷弾の破片のくだりは爆発の怖さを身近に感じるし、ここまで肌感覚に訴えるアニメーションは個人的には初めてだった。フィクションのほうが真実に迫るということは三木清も言っていることだが、その意味でも、アニメーションが元々持っている虚構性が存分に生かされている作品と言える。もしかすると、『この世界の片隅に』は語り継がれる古典になるかもしれない。