暗記力と思考力 | Nothingness of Sealed Fibs

Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

先日、「大学入試を暗記力重視から、論理的思考力重視へと指針転換」

とニュースが報じていた。

おかしなことをしていると思う。

問題をとくのに暗記力を使うか、思考力を使うか、それは生徒の自由だ。

どれほど試験問題を工夫しても、その問題を暗記力だけで解こうとする

人が現れることを妨げることはできない。

なぜならば、大学入試の試験範囲がちゃんと決まっているからだ。
試験範囲が決まっているからこそ、暗記するという戦略が成り立つ。

だから、本当に論理的思考力を問いたいなら、試験範囲を無くすか、

べらぼうに広くすべきなのだ。

ただでさえ、人類の知は日々蓄積している。

本来であれば、そうした蓄積に対応して、大学入試の範囲も拡大して

いかなければならないはずではないのか?


もしそんなことになったら、大変だ!と思う若者は多いかもしれない。
しかし、今は、ネット上で百科事典よりも多量の情報に容易にたどり着ける。

画像や動画も充実して、勉強そのものがだいぶやりやすくなっている。

勉強がやりやすくなっているのだから、試験範囲は広がってもいい。

僕はそう思う。


そもそも、僕には現状の大学入試が過剰に暗記力重視だとも思えない。
僕のささやかな経験からいえば、よくできる人ほど、いわゆる丸暗記に

よって知識を得ている人は少ない。

情報は体系づけられることで、単なる丸暗記よりもはるかに覚えやすくなる。
何をどのように体系づけたら覚えやすくなるのかを考えるのも、立派な

思考力ではないのか。

また、より具体的で詳細なイメージをもつことで、容易に頭に入ってくる。
例えば、「慈円、愚管抄」と10回唱えるよりも、図書館で『愚管抄』を

パラパラ斜め読んでみるなり、ネットで慈円を検索するほうが、頭に入りやすい。

こんな風に、さまざまな工夫で、自然に知識を頭に入れられれば、

大学入試の範囲くらいで音をあげなくてすむ。

いずれにせよ大学にはいれば、大学入試よりもはるかに広範囲の知識を

身につけなければならない。大学に入る前にある程度、知識の身につけ方を

習得しておくことは大事だと思うのだが。

また、必要な知識がなければ論理的思考力を使えないということも言える。

プロの将棋棋士も、過去の棋譜を大量に記憶していて、その記憶をもとに、

指す手を考えている。


以上のような訳で、僕には、大学入試で、ある程度、知識量が問われるのは

いたしかたないし、むしろ必要だと思われる。