『スター・ウォーズ』 -過去についてのSFは可能か?- | Nothingness of Sealed Fibs

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見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

『スター・ウォーズ』は冒頭のテロップからして不思議な作品である。


いきなり観客の目に飛び込む「A long time ago, far away in a galaxy・・・」という文言。

ものすごい宇宙戦艦が行きかうSF作品なのに、大昔の話だというのだ。


通常私たちは、SFといえば、未来を描く作品だと思い込んでいる。

スター・ウォーズはこの我々の常識が思いこみであることを教えてくれる。


なぜわれわれは、SFが未来を描くものとおもっているのだろうか。

SFは科学的フィクションだから、ひとつの虚構である。一方、未来はまだ我々にはわからない。

だから、我々は、未来と虚構の結びつきにはそれほど違和感を感じない。

しかし、過去は実際に起きた事実の集積である。

だから、過去にはフィクション(虚構)の入り込む余地はないと思える。


しかし、過去は我々が思っているほど確かなものでもない。

思い起こすたびに過去の記憶が違う様相をもって現れることは我々が良く経験するところだ。

南京大虐殺をめぐる歴史論争が示唆する通り、我々は直接見たことのない過去については、

手掛かりから推測して再構成することしかできないのだ。


だから、過去についてのフィクションも十分にあり得る。

というよりも、直接経験したことのない過去を我々が手掛かりをもとに再構成するとき、

その再構成された過去も、一種のフィクションなのである。

なぜならば、我々は「本当に過去に起こった事実」を完璧に知ることはできないがゆえに、

再構成された過去が、本当に事実起こった過去と同じになっているかを確認できないから。


そう考えるとき、過去についてのフィクションもありえる、つまり過去についてのSFが可能である、

もっといえば、歴史上の出来事をテーマにしていても、すべてはSFであると言えることになる。


つまり、我々が過去についてなるべく正確に考えようとする限り、

現在に近い時期の過去について再構成した後に、すこし昔にさかのぼって再構成するというように、

現在→過去というしかたで、歴史を考えるほうがより確からしいということになる。

歴史の授業でよくやるような、昔→現代という順番で歴史を探求するのは変なのだ。


世界の最初は、一番我々から遠いのであるから、分かりにくいはずである。

世界の最初からではなく、身近な時代から昔に向かってすこしずつ再構成を積み重ねる。

これこそが、歴史を真摯に考える態度ではないか。


そう考えるとき、スター・ウォーズがエピソード4から始まった意味が明瞭になってくる。

スター・ウォーズは、物語の最初を描かずに、途中から描くことを選んだ。

これは、過去をまず自分たちに近いところから再構成していくという歴史への真摯な態度の現れなのだ。


ふと考えてみると、すぐれた小説というのもしばしば過去を題材にフィクションを紡ぐ。

村上春樹は一貫して過去を変奏し続けている。

カート・ヴォネガットも、ある本の冒頭に、「この本に真実はいっさいない」と断りつつ過去を描く。

別の本でヴォネガットは、「本書の中の人物、場所および事件は、すべて実在する」と書いている。

どちらも、まったくの嘘っぱちであることは間違いないが、いずれにしろ過去を描いている。


おそらく、虚構であってもいいやと思える出来事の範囲が広い人ほど、強い心の持ち主だろう。

そして、全くの僕の経験則ではあるが、そういう人ほど、優しさもあわせ持っているものなのだ。


僕にとっての『スター・ウォーズ』の魅力は、この映画冒頭の一文に全て凝縮されている。