『容疑者Xの献身』をみた。
原作はいわずとしれた東野圭吾。ストーリーのおもしろさについてはとくに付け加える点はない。
僕がこの映画でもっとも印象に残ったのは、「堤真一」の演技である。
ラストで堤さんが「どうして・・・」というセリフとともに嗚咽する姿には、久々に演技で鳥肌が立った。
これほど、「ほとばしれる」俳優は堤さん以外にあまり思いつかない。
ただ、すこし鳥肌が立つ一方、僕には少し残念な気がしている。
なぜなら、堤さんの演技が西田敏行系だなぁと感じられたからである。
堤さんは、これほど見事に「ほとばしる」ことができる。そして、できるがゆえに、
(僕があまりみていないせいかもしれないが)寡黙な役を演じることが少ないのではないだろうか。
数学の天才という設定のこの『容疑者Xの献身』でも、たしかに全体的に寡黙ではあるが、
ラストの「どうして・・・」では見事に「ほとばしる」。
あえていうなれば、堤さんの演技は、ものすごくいい意味で、饒舌なのだ。
僕は、そこに西田敏行的なものを感じ取ったのだと思う。
役所広司以降、「ほとばしる饒舌さ」だけでなく「静謐さ」の両方で魅せてくれる主演級の俳優さんは
少なくなってしまった。それは、俳優の分業が進んでいるからではなかろうか。
役所広司の「静謐さ」を存分に引き出した『ユリイカ』の青山真治監督は、現在では「浅野忠信」を
被写体にしている。その浅野忠信は、ほとんどといっていいほど「饒舌」な役柄を演じない。
役所広司がほとんどしゃべらない『眠る男』を撮った小栗康平監督も、大物俳優を起用した映画はとらない。
「時効警察」で脱力演技をやってのけたオダギリジョーは、
『ゆれる』で、香川照之との「ほとばしり」合戦をみせている。
しかし、そのオダギリジョーの「ほとばしり」も、正確には「静謐さ」のほうに分類されるべきだろう。
なぜなら、『ゆれる』のオダギリジョーは、あふれでる感情の発露というよりも、兄(香川照之)の変貌を
目の当たりにしたときの「とまどい感」の表現だったからだ。その意味では、オダギリジョーの『ゆれる』の
演技は、自分の気持ちがもやもやしていてはっきりしないという感覚の発露なので、明確な感情が
内部からあふれ出てくる「ほとばしり」ではない。
結局のところ、「静謐さ」を代表する浅野忠信やらオダギリジョー、
「饒舌」な香川照之、堤真一というような分担がいまの俳優さんにはあるように思える。
それは少し残念である。ぼくは、堤さんが「ほとばしらない」演技をみせる作品を見てみたいなと思う。
西田敏行的だけでなく、緒方拳的な堤さんも拝見したいなと。そう思うのである。