「自分の愛するものが不死であるようにとねがわないこと。
人間に対しては、だれであろうとその人の不死も、死も、ねがわないこと。」
―シモーヌ・ヴェィユ『重力と恩寵』(ちくま学芸文庫32頁)
ゼミにシモーヌ・ヴェイユを研究している人がいるので、
最近は布団にはいってから、『重力と恩寵』を手にとることがおおい。
アフォリズム集なので、文章が短く簡潔で、寝る前に読むには最適。
ただ、一読しただけではしっくりこない言葉も多くて、考え出すと眠れなかったりする。
上の言葉は、読んだ瞬間に納得できた一行。
ものごとを徹底してありのままにとらえることができた時、
世界は、悲しみやよろこびとは別に、ただあることになるだろう。
人が生きる。人が死ぬ。
それは、本来は悲しいことでも、喜ばしいものでもなく、
たんなる出来事のはずである。
それらがたんなる出来事であるということが身にしみてわかってきたとき、
世界が「ありつづけている」ということが僕らの支えになっていることに
きづかされるのではなかろうか。
だれかを愛するということは、そのだれかが生きて「いる」ということを、
あるいは、そのだれかが死んで「いる」ということを、
そのままに見つめようとすること以外のことではない。
むろん、そのような愛の理解は、限られた人にしか受け入れられないだろう。
しかし、そのほんとに狭い意味での愛は、幻想を必要としないがゆえに、ゆるがない。
世界が「ありつづけている」ということは、そのめちゃめちゃ狭い意味での愛が、
それ自身まったく幻想を含まないがゆえに作り出せる幻想なのだ。