『マジックアワー』 -おもしろさの美学- | Nothingness of Sealed Fibs

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見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

三谷幸喜監督の『マジックアワー』をテレビで拝見。

劇場公開した時も見に行ったが、ひさびさに見てみて、あらためて大笑い。


三谷監督は映画も大好きらしく、和田誠との対談本で、『ダイ・ハード』の脚本について

あつくかたってる文章は、爆笑ものだった。

三谷監督の「笑い」が、「伏線の回収」と激しくリンクしながら考えられていることをあの本は教えてくれたなぁ。


そういえば三谷監督が脚本の『12人の優しい日本人』や、前作『有頂天ホテル』も、

ベースには往年の名作映画のパロディがある。

上にはりつけた『マジックアワー』のスチールも、ライアン・オニールの『ペパー・ムーン』や、

ウッディ・アレンの『ギター弾きの恋』を思い起こさせてくれて懐かしい気分になる。


というように、この『マジック・アワー』は随所に映画に対するあたたかいオマージュに

あふれていて、玄人ほど味わい深く見れるかもしれない。

もちろん、三谷監督の十八番、「一生懸命な勘違いが生むおもしろさ」も健在である。


三谷監督の作品に徹底しているのは、「観終わった後、とくになにものこらないこと」である。

『マジックアワー』を見て、人生において大切な真理について考えさえられたりする観客は

あまりいないだろう。でも、そもそも、そんなふうに深刻なことばかりかんがえることが、

なんか大切なことに近づくベストの方法かどうかなんて、誰も知らないのだ。


なんとなくではあるが、

三谷監督には、「あー面白かった!」以外の感想を観客に求めていないところがあるように思う。

それは、三谷監督の「おもしろさに対する美学」みたいなものからきているのではないか。


森山直太朗の「生きてることが辛いなら」という曲に、こんな歌詞がある。

♪何にもないとこから 何にもないとこへと

 何にもなかったかのように 巡る生命だから


僕は、二段目の「何にもなかったかのように」という部分がとても好きなのだが、

この言葉の感覚は、三谷監督の「おもしろさの美学」に通じるところがあるのかなと、

『マジックアワー』をみて、笑いながら感じたのだった。


だからこそ、『マジックアワー』は、また忘れたころに見ると、何度でもおもしろいのだと思う。


三谷監督、次回作お待ちしております。またすごい佐藤浩市が見てみたいですし。