詩人の自信 | Nothingness of Sealed Fibs

Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

谷川俊太郎さん、覚和歌子さん、丸尾めぐみさんによる、

「歌と詩の朗読ライブ」というものに、いってきた。


谷川さんが監督を、丸尾さんが音楽を担当されている

写真映画『ヤーチャイカ』も同時上映。


Nothingness of Sealed Fibs-ヤーチャイカ

この映画には、ひそかに僕が応援している尾野真千子さん(『萌の朱雀』や『殯の森』で有名)

が出演しているので、ぜひみたかったのだけれど、上映時間がちょうとラテン語の授業とかぶってて断念。


ライブの時間にも別の授業が入っていたのだが、

大好きな谷川俊太郎さんを、なまでみれるということで、

当然、授業はさぼらせていただいた。


はじめてみた谷川さんは、写真でみていたイメージよりも小柄。

ジーンズとTシャツをきた、やさしそうな、1931年生まれのちいさな体の詩人。


威圧感ではなくて、余韻。

オーラではなくて、みずみずしさ。


人間の目に、残像という現象がみられるように、

人間の耳に、残響が聞こえているのだとしたら、


谷川さんには、たしかに残響のような余韻を感じさせるものがあった。

その残響を作るのは、詩人の自信なのかもしれない。


10代のときに書かれた詩と、同じような内容を、今でも書かれることが、

あるそうだ。


世界でも、宇宙でもない、コスモスが好きだとおっしゃる谷川さんには、

全身で、現象を受け止めきるための、どこまでも新鮮な感性が、

ほとばっしてらっしゃる、そう思われた。


僕も、残響のような余韻の中を、生きていたい。

心がキューっとなった。