休憩時間に、吉本ばななをパラパラとチラ読みしてみた。
相方さんに貸してもらったのである。気楽な感じでページを開いたのに、冒頭の一節で、しびれた。
”嵐とは一回キスしただけだ。(中略)
それでも嵐を好きになってから私は、恋というものを桜や花火のようだと思わなくなった。
たとえるならそれは、海の底だ。
白い砂地の潮の流れに揺られて、すわったまま私は澄んだ水に透けるはるかな空の青に見とれている。そこではなにもかもが、悲しいくらいに、等しい。
目を閉じて走っても、まったく違う所を目指したつもりでも、気持ちはいつの間にかくり返しそこへたどり着く。そこはいつもとても静かで、いつも彼の面影に満ちているので、私は目をさますことなく、ずっとそのまま眠っていたくなる。
でもそこだけは決してはき違えない。
私にとっては現実の嵐のほうがずっと大切だ。” 吉本ばなな『うたかた/サンクチュアリ』 角川文庫 6頁
なんだか、これだけの短い文章なのに、すごいおもしろい。
等しさと、静かさは、けっしておなじ意味の言葉ではない。
にもかかわらず、ふたつの言葉がかたどる世界は、おそろしいほどに似ている。
不思議だ。
しかも、この作者は、恋を、桜や花火ではなくて、静かで等しい海の底みたいだという。
また不思議だ。
人を愛するということは、いつまでも新たな燃料を必要とする炎のようなものではなくて、
人が人であるというそのことの底にはじめから灯されている「あかり」のようなもの、なのだろうか?
本当かどうかはよくわからないけれど、もし、僕の底にも「あかり」のようなものがあるならば、
炎のように明るくないのは当然としても、せめて相方さんには、とどく「あかり」でありますように。
そのページだけ5回くらい読み返してる間に、ぴゅーっと休憩時間は終わってしまった。
続きは、いつ読めるのだろうか。