修士論文でとりあげる滝沢克己の本を読んでいて、面白いところがあった。
滝沢克己は、ユダヤ人と日本人の絶対的なものをめぐる発想を比較している。
ユダヤ人の発想はこうだ。
絶対的なもの(=神)を、人の目に見えるような形をもったもとのとして表象しきるなんてことはできない。
それゆえに、偶像崇拝は間違いだとユダヤ人は考える。
日本人の発想は、ちょっとちがう。
そもそも目に見える形をもったもののうちに、絶対的なものを見出すことはできない。
形あるものは、いつかは壊れる。形は絶対的ではない。まさに諸行無常。
絶対的なものなど、そもそも存在しないというわけだ。
両者は、ともに、形あるものは絶対的ではないという結論で一致する。
しかし、絶対的なものが存在するかどうかについては、両者のスタンスは正反対である。
ユダヤ人にとって、絶対的なものがなんらかのしかたで存在することははっきりしてる。
他方、日本人にとっては、絶対的なものはどちらかというと、存在しない感じがする。
ふうん。なるほど。
偶像崇拝はおかしいんじゃないか、という答えにおいて両者は一致するが、
その答えにいたる思考のプロセスは全く違う。
これから本を読む時も、字面の下に隠れている思考のプロセスをなんとかつかむようにしないと、
いつのまにか、答えは同じ外形をしていても、中身の全く違う理解をしかねないなぁと。
あらためて肝に銘じる次第です。
学問と言うのはその点が、めんどくさいなぁ。
映画であれば、その映画を面白く見れればそれで十分なのに。