お昼ちょっとすぎに、突然元会社の後輩から電話がかかってきた。
休日なのに出張業務で京都に来ているという。
せっかくだからということで、お昼御飯を一緒に食べることになった。
「2日前は徹夜でした。そのあと、朝一番の新幹線で出張してきたんです。」
後輩のいさましい激務談を聞いていると、たのもしいなと感じるのと同時に、
もう自分には、共感したくても共感しきれない世界の話題だなぁと感じられて、
ついつい遠くのほうに目をやってしまう。
もちろん、表面上は普通に言葉を交わしている。
でも、おなじ言葉を理解するときの重みが、その後輩と僕とでは、もうだいぶズレてきているのだ。
思いすごしだろうか。
たとえば、僕自身がガリガリ働いていた時と、今の僕とでは、
「お疲れ様です」という、たった一言に込められる深みですら、
変わってしまっているのではなかろうか。
歩む道が分かれれば、そういうときがいつか来るとは分かってたけど、
もう、この後輩に「仕事、無理しないようにがんばって」というエールを贈ることはできなくなってしまった。
「そういうとき」は、僕の予想よりもだいぶ早く来たのだ。
ある人にかけることができる言葉が少なくなっていく、というのは決して楽しいことではない。
むしろ、どちらかといえば、さびしい。
でもそれは、しょうがないことなのだ。
これからは、後輩の仕事の大変さを理解することはできないけれど、
この世に同じく生ける者として、
いままでよりも断然ささやかでかすかなエールを、
こっそりと分かりづらく控え目に贈ることにしよう。
それくらいならば、僕でも十分にできる。
それぐらいしか、僕にできることはない。
はて。あと何回ぐらい、僕は控え目にならなくてはならんのか(笑)?
「ご活躍を祈る」ぐらいしかボキャブラリーがないのだが・・・。