ついに『鉄コン筋クリート』をDVDで見た。
原作は、言わずと知れた松本大洋。すでにある若い世代には伝説的になっている作家だ。

僕が、原作漫画を読んだのは、たしか永井均著『マンガは哲学する』という本で、この作品についての言及がなされていたのがきっかけだった。映画化のことを知ったのは、元会社の同期とクライミングジムに行った時だったなぁ。
この映画には、たくさんの魅力がある。
蒼井優、二宮和也といった声優陣の演技を楽しむのもいいし、原作漫画を凌ぐアクションシーンでの空間感覚はものすごく爽快だ。
でも、僕が一番好きなのは、クロの心が葛藤する描写。
クロは、じっちゃんとの会話において、こう言っている。
”シロは俺が守る。”クロは、シロを守るという一点のためだけに生きている。
逆を返せば、クロは、シロが存在するから生きているのであり、ある意味でシロに依存している。
蛇のはなった刺客におそわれたシロが警察に保護されると、クロは守るべきものを失って、
極端に凶暴化し、宝町を傷つける。
シロがいない今、宝町を守る必要はない。目の前には、クロに襲いかかる大人がいるばかりだ。
そこに、クロの分身であるイタチが現れ、クロを純粋な闇の世界へと導こうとする。
”世の中には善も悪もない。あるのは真実だけだ。闇こそが真実なのだ。”
善も悪は、あとから人間がつくりだした区別にすぎない。
本当の真実とは、光のない闇だ。闇には影がない。だから善悪の区別もない。
であるならば、「善をなせ」という命令は、闇においては無効化される。
おまえがシロを守る必要なんてない。シロがいるせいで、おまえが苦しみを受けなくてならないのだから。
お前が苦しむ原因をつくるものを、すべて破壊してしまえ。
破壊が悪い事だとしても、そんなレッテルは人間の都合が生んだもので、おまえにとっての真実ではない。
おまえは、そのままでおまえであり、おまえにはシロばかりでなく、なにものも必要ないのだ。
そうイタチは言っているように思える。
イタチの思想は、たしかにうなづける真理を含んでいる。
しかし、クロは、闇という純粋な真実に身を委ねることを拒否し、シロと生きる濁った現実に踏みとどまった。
イタチは最後に言い放つ。”おれはいつでもおまえの中にいる。おれがおまえを救う。”
そして、クロの右手に傷を残してイタチは消える。
クロを救ったのは、シロではなく、イタチ(=クロ自身)だ。
それは、クロ自身が傷を負うという仕方での救済だった。
こうして、クロは、本当の意味でシロを好きになれた。
シロに依存しない仕方で、シロを必要とすることができるようになったのだ。
この描写が僕が、この映画で一番好きなところである。
でも、その描写に関して、映画は原作漫画に一歩及ばない。
漫画では文字によって表現されるイタチの声=クロの内面の声を、僕は文字で読んで共感することができる。
しかし、映画では、イタチは二宮和也という声優の具体的な声色を持たなくてはならない。
だが、僕の「内面の声」は決して具体的な声色をもってはいないのだ。
それゆえに、僕としては、この映画をみると、すこし観ていられなくなってしまう。
おそらく、『ゲド戦記』を観ていられなかったのも同じ理由だろう。