総理辞任劇に思う | Nothingness of Sealed Fibs

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見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

朝起きると総理大臣が辞任していた。

野党の大物が「無責任」だとか「投げ捨て」だという意見を述べている。テレビの報道も一様に総理辞任に批判的なコメントをつけている。まぁしかし、果たして福○総理はどれほど無責任なのだろうか?

印象的なのは会見での記者と総理のやりとり。若い記者の「この時期の辞任は無責任だという声もありますが…」という質問に対し、総理は「私はあなたよりも自分を客観的に見れる」と答えた。

総理と記者の間で、なにが重要かという視点がずれているように見える。

僕からみれば、総理が果たすべき責任とは、総理でありつづけることではない。この多様化・分化の進む日本をどうやっていったらいいか、真剣に考えることだ。総理と野党と記者の三者のなかで、その意味での責任を果たしていると、だれが胸を張って言えるだろうか。

もっときつくいおう。野党の大物や記者の発言は、日本について真剣に考えようとしているだろうか?

彼らの仕事は、「とりあえず与党や総理に反対すること」ではないはずだ。

その二者が頻繁に口にする「国民」がなんと虚ろなことか。その「国民」の利害関係が一つの図式に収まらないから大変なのに。少なくとも僕は、二者の言う「国民」には入ってない。

大事なのは総理ではなく、あくまでも日本だ。忘れてはならない。

無責任といわれる福○総理と、おそらく責任を全うしたとされる小○首相。二人の違いは、責任感の有無ではなくて、前者が単なる真面目、後者がずる賢い策者、そういう違いだと僕には思える。


だからおそれずに、こう言いきってしまおう。

総理辞任の理由には、日本がそれだけ大きな社会問題に直面しているにもかかわらず、現在の与党・野党が政策論ではない地点で、小競り合いをしているということが挙げられていた。

僕は、総理の手腕についてはどう評価したものかわからない。

でも、総理辞任について「無責任」だとか「投げ捨て」だとか批判することが、たいして生産的でもなければ、日本の将来に役に立つわけではないことは十分に分かる。


野党の大物の方々、マスコミの方々。

あなたがたの批判は、そんなに大切なことか?


与党の方々。

あなたがたは次の総裁選のことで忙しいのだろう。

でも、だれが総裁になって、だれが三役につくのかって、そんなに大切なことか?


船長が2回も倒れた船の構造的な危機をこそ、いま真剣に考えるべきだろう。

考えるべき問題は、非常に難解で、おそらく至難の業である。

でも、問題が難しいからこそ、あなたがたの職業にはそれなりの敬意とお給料が支払われている。


くだらないことに時間を費やしている場合ではない。