2/9はいきなり朝帰り。
先月、めでたく結婚した後輩のお祝いの会。写真をみせてもらって、相変わらずなぐだぐだトークに終始しました。
金曜日の23:00に開始の時点で、すでに徹夜を覚悟しましたけど。
前の部署で後輩として入ってきた子ですが、後輩ながら、ものの考え方がしっかりしている人なので、きっと会社をになう職員になってくれるでしょう。僕みたいにひねくれていないしね。 健闘を祈る!!
朝、7時ごろに家に戻って、ノドがちょっと風邪っぽかったのでそのまま寝転んで、その後輩に貸してもらった『神戸在住』ってマンガを読む。ナチュラルな空気感に癒されました。
2/10は今度結婚することがきまった先輩の引越し手伝い。
久々に重い荷物をもって、腕が筋肉痛!! 握力がなくなってしまい、自分の筋力の衰退を思い知りました。
引越しが終わった後は、先輩ご夫婦と手伝いにあつまった職場の先輩、後輩、僕の5人で素敵な中華料理屋さんへ。
ものすごくおいしいお店で、先輩ご夫婦の飾らない人柄もあって、あっという間に時間が過ぎていきました。
先輩、末永くお幸せに!! ジャズの演奏もステキでした。
とってもいいお店だったので、またきたいなぁと思いました。
2/11はメインは僕が生まれる前に亡くなっていた祖父の30回目の命日の集い。
夜は、町田に親戚が集まって、近況の報告と思い出を語り合う会が。
正直こういう、親戚づきあいは苦手だけど、ま、親の希望もあって、出席しました。
故人を偲ぶ会ということだけど、僕は祖父の記憶すらないし、聞き伝えられたエピソードで想像するだけ。
でも、父がおりにつけ、「祖父や、曽祖父ならどう考えるだろうか?」という思考をしている姿をみていると、故人を偲ぶとは、故人よの思い出を語り合うよりは、「なくなったあの人であればどう思うだろうか」という風に想像してみることなのではないかと感じられる。
死者のリアリティーとは、思い出ではなく、死者の思考をトレースして、想像するところに生じる気がする。
存在しない仕方で「ある」、そういうリアリティーの持ち方を死者がするというのがレヴィナスの卓見である。
それにしても、こんなに多くの人に偲んでもらえる祖父は幸せものだとおもう。
僕も、いつか父を偲んだり、だれかに偲ばれたりするのかもしれない。
そんなときにそなえて、父の言葉をもっと聴いておく、そして自分の言葉をもっと研ぎ澄ましておく。
親戚会の幹事を担当した父が、会の最後に出席者を送り出しているときの嬉しそうな顔を見ながら、そのように感じた。
今週、親戚の会まで行く途中で聴き続けたのはBump of Chickenのアルバム「orbital period」収録の『ひとりごと』
「言われなくたって気づいている。 ぼくちょっと考えすぎ。ありがとう。笑ってくれたおかげで、僕も笑える」
自分の言葉は身近なところからしか生まれない。そして、なにを身近にするかは僕自身が選ぶんだ。
そんなことを考えながら、なにか表現できるといいなと思う。