まっすぐなものたちへ | Nothingness of Sealed Fibs

Nothingness of Sealed Fibs

見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

先週火曜日に、お世話になった先輩の送別会があった。公私ともによくしていただいた方だけに悲しい。送別会はその方の人徳で課内の会としては珍しくたくさんの人が集まった。カラオケあり、おいしい韓国料理ありで、とてもいい会になったなぁと思う。これからのご活躍をお祈りします。

先週の水曜・木曜と今週月曜は就活中の学生さん相手に会社訪問の対応を行った。これから社会人になろうとする若者のおそれを知らない姿が新鮮である。
僕が就活してたころを振り返ると、こんなまっすぐさなんてかけらもない人間だった。別に内定とれなければ大学院でもいって腐っとけばいいしと思ってたし。

それにしても、他人のまっすぐさは気持ちいいなと思う。僕自分はまっすぐになるのは恥ずいし、まっぴらだけど。ほんとあまのじゃくだ。

たとえば、僕は国際協力というフィールドのはしっこで働いているけど、人助けは大事だみたいな通俗的な倫理にはあまり共感できない。

どちらかというと、僕は嫌いじゃないのでやってます、僕は悪くないと思いますみたいな、ある種自己中心的な感覚でいる。

おそらく、価値観が多様化し、職業も千差万別な社会において、「他者を傷つけない、頭ごなしに否定しない」ように振る舞うには、あらゆる意見表明の際に「僕は」という但し書きをつけて自己中心的に見せかけるしかないのだ。

主語としてではなく、但し書きとしての「僕」は、西田哲学における場所としての「私」に近い。

複雑な世界になったものだ。でも僕の乏しい経験から言わせてもらえば、決して生きづらい世界ではない。むしろおもしろい。ただ、世界が複雑であることを理解しない人(しばしばそれは偉い人である)が放つ単純な意見が、世界を面倒くさくさせていると思う。

就活中の学生さん、がんばってください。自分自身の五感だけが頼りですから。