もうあんまりあいずちをうたない。 | Nothingness of Sealed Fibs

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見た映画、読んだ本、その他もろもろについて考えたことを書きとめてあります。

伊坂幸太郎の「重力ピエロ」を読み始めてみた。密度が高いのにすらすらと読めてしまう。幸せである。こういう文章を書いてみたいものだ。

読んでいて気づく。会話の中にあいづちが全くない。もし、この小説のダイアローグを素でやってのける人がいたらすごい奴だ。かなり頭の回転が速い。
そういえば普段、生活の中で誰かと話す時、僕はあいづちを多用する。あいづちをうたないことなんてほとんどない。
なるほど。あいづちは一呼吸ついたり相手の言葉への反応を考える場合の時間稼ぎにはいいだろう。挨拶や世間話ではあいづちがすべての流れをきめる。
でも、あいさつや世間話はあんまり深くは付き合わない顔見知りにたいしてするものだ。当然内容も当たり障りなくお互いの存在を祝福して終わる程度。それはそれでとてもステキだけどスリルがない。

相手のいうことがしっくるかこないか関係なくとりあえず、「そうではない」とつっぱね、突っぱねながら反論を考えて自転車操業していた数年前が懐かしい。


だから僕は決心する。大切な人と話すときにあいづちをしない、と。そんなことできるのかなぁ。でも、あいずちを減らすように気をつけるとなんとなく考えながらしゃべる負荷が老化防止によさそう。

スリルに満ちた緊張感のある会話の中にあいづちのニッチは皆無。のはず。

いけるところまで。こんなたわけた決心と一緒に。