村上春樹短編集『レキシントンの幽霊』を読んだ。
「めくらやなぎと、眠る女」のなかの一節が気に入った。
「やらなくちゃいけないことなんて、どこにもひとつもない。でもここにだけは、いるわけにはいかないんだ。」
ボブ・ディランの歌に「やりたいことをやるだけさ。だからうまくいくんだよ」という美しい詞がある。
一見、春樹の文章とは正反対のことをいっているように見える。
でも実は、春樹とディランは同じことを互いに反対の立場から表現しているだけなのだと思う。
ディランの言う「やりたいこと」とは、もっとも正確な意味で「自分のやりたいこと」を指している。
ようするに、あらゆる「他人が僕に望むもの」を退けて、純粋に自分だけの感情を抽出したとろで
現れるのが「自分のやりたいこと」なのだ。
ディラン自身、世間から貼られるレッテルをとことん嫌がった。それは、自分が好きでやっている音楽が、世間的になんらかの意義をもつことで、「~のために音楽をやっている」という考えかたのパターンに収まってしまうからだと思う。
だから、春樹の「やらなくちゃいけないこと」とディランの「やりたいこと」は次のように言い換えられる。。
「やらなくちゃいけないこと」とは客観的にみてやらねばならないこと。
「やりたいこと」は主観的に見て主体が端的にやりたいこと。
この世の中には、あまりにもおおくの事物が満ちていて、時に気が遠くなりそうになる。そのなかで、ひとつだけ確かなのは、絶対的に「やらねばならないこと」として定義できる事柄は存在しないということ。
「僕が存在している」という感覚以上に重要なことなんてない。そして、その感覚は「やる」「やらない」というカテゴリーには入らない。端的に事実として成立しているのみ。
「本当にやらなくちゃいけないことなんて、どこにもひとつもない」
この種の闇を理解しない人とは、僕は関わりたくない。奴らは、充実した外見をしたただのスッカラカンなのだ。奴らが、狂ったり、暴れたり、世界を動かしたりする。
この種の闇を理解する人は、一見うちろむきだけど、中身はたくましい。彼らはなにか大きなことを成し遂げるなんて出来ない。でも、彼らこそが世界を守っているのだ。
僕はそう思っている。