【ずるさ】語尾の曖昧さと立ち位置 |  やさしい世界のつくりかた

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思いつくままに

ほぼ毎日一記事書いている

 

 

 

 

 

 

目次

 

1.はじめに:自分のブログの特徴

 

2.語尾の曖昧さと立ち位置

 

 ①フラットでいようとするあまりに

 

 ②何もしなくていいずるさ

 

 ③主張する場所で

 

3.まとめ:前提は楽しむもので

 

 

 

1.はじめに:自分のブログの特徴

 

 

自分のブログの特徴など

自分では冷静に見られるわけもないが

あえて分析をしてみようと思う


 

 

 

 

2.語尾の曖昧さと立ち位置


 

 

①フラットでいようとするあまりに

 

このブログを少し読み返してみると

というか読み返さずともわかるが

このブログは「断定」「決めつけ」をしていない(断定)

 

↑これは断定になるが(笑)

だいたいこういうときは

 

このブログはあまり「断定」「決めつけ」をしていない

 

と少しぼかしたり幅を持たせたりしている

 

100%言い切れることなどない(言い切り)

 

だから反対の意見や事実の入る

スペースをとっておくという文章になっていることが多い

 

これはもう癖である

 

例えば

上記の「ことが多い」も多用されている

 

 

できるだけフラットでいようとするあまり

完全に立場をはっきりさせるということを避けている

 

 

 

②何もしなくていいずるさ

 

 

こうすることによって

どういうメリットがあるのだろうか

 

 

そのような言葉遣いをすることによる

メリットがあるはずである

 

 

ひとつは

「反対の意見への配慮することで

 批判されないようにしている」

ということだ

 

 

「私こういう風には考えていますが

もちろん絶対じゃないです、諸説あります

そう思わない人を否定しているわけではありません」

 

 

そんな雰囲気が溢れている

 

 

テレビやCMでよく見る

見た人からの批判をあらかじめ防ぐ

「スタッフがおいしくいただきました」

「効果には個人差があります」

のような但し書きにそっくりだ

 

ボクはあまり好きではない

 

しかし

見てくれている人への配慮という意味では

こういう視点も必要ではあるとは思う

 

 

そして

もう一つは

「どの立場もとらないことで

 何もしなくていい」

ということだ

 

例えば

「原発推進に賛成か反対か」という問題で

 

「安全面ではなくした方がいいが

 推進するメリットも考えられる

 難しい問題だ」

 

と答えた場合

推進するための行動も

反対する行動もとらなくていいのだ

 

どちらかの立場をとれば

「推進する政治家に投票する」とか

「反対のデモに行く」とか

行動をとらなければならない

 

それがめんどくさくて明言しないのだ

 

 

そうやって幅を持たせて発言しておけば

何もしなくていいのだ

 

 

そういうずるさがあったのだ

 

 

 

③主張する場所で

 

この場所で何を書こうが自由だ

 

 

激しく主張する記事もあるし

ほっこりする記事もある

 

 

それもその人のメッセージであり主張だ

 

 

継続する練習

文章を書く練習のブログだったが

自分の意見をはっきり書いて

行動していくためのものにしよう

 

 

 

3.まとめ:前提は楽しむもので

 

 

急に怖い意見を言いそうな雰囲気に

なってしまったが(笑)

そんなことはなくて基本楽しんでやりたい

 

 

もう一回ブログのタイトルに立ち返りながら

何かひとつでもできることを進めていこう

 

 

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8.9