ワシントンワインのインポーター日記 -82ページ目

失礼しました!

今某所で他インポーターさんの試飲販売に立っています。
そこでの出来事。

このワインイベントは年に2回開催されます。
開催者側も事前にDMを郵送したりして、かなりのワイン・ラヴァーが訪れます。
なので毎回、このイベントに参加していれば、顔ぶれも解ってきて、中には名刺交換などをして顔見知りになることも。

そんな中、前回ご挨拶させていただいた飲食店経営のお客様がいらっしゃいました。
前回いらした時は以下のような会話があったように思います。

「これこれこーゆーワインを探しているんだけど」
「あ、それならこの会場にはないですが、もしかしてうちの(ワシントン)ワインなら合うかも」
「飲める?」
「いえ、ココには参加していないので・・・今度サンプルをお持ちしましょうか」
「じゃあ店はここなんで」

と、お名刺を頂戴し、まずワインを持たずに個人的に連れと夕食を食べに行きました。
メニューのない、店主が旬の美味しいものをお客様と会話をして出してくれる、そんな無国籍料理のお店。
一体いくらするんだろうとかなり心配になりましたが、お食事は美味しいし、私がサンプルとして持って行きたいワインはここのお味にとても合うと確信したのですが・・・弊社ワインは少数生産の為、多少大手ワイナリーのものよりは値が張るのが実際の所です。もしお会計の段で一万円超えれば、弊社のワインも充分使っていただける、そう考えました。
結果、お腹一杯になり、連れが美味しい焼酎を飲んだにも関わらず二人合わせて5千円ちょいというお値段で腰を抜かしそうになった事があります。なんて良心的なお店。しかしこの値段設定では弊社ワインを扱ってくださるのは難しいと勝手に思い込んでいました

一応後日社長とサンプルをお持ちし、その後お返事を戴けずやはり値段が折り合わなかったか・・・と諦めておりました。何度も足を運ぶべきだったのかどうか、それさえ判断できずにいた新人というにはトウが立ってる新人インポーターの私ですが、今思えばもう一度、顔だけでも出すべきだったのです。


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昨日、そのお客様と半年振りにお会いし、「ねえ、あの時のロゼ二本頂戴」って言われました。

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  あああああっ!あの時の!
  他インポーターさんのブースでの自社アイテム商談、申し訳ないです・・・
  といっても二本という数字なので見逃してやってください、Hさん(-"-;A


  何はともあれ、私の営業姿勢が間違っていたんだと知らされた一瞬でした。
  「しつこくしたら余計嫌われちゃう」って思っていたんですよね。
 自分のお勧めした商品に自信があるのなら、
 塩まかれてももう一度ぐらいはお伺いするべき
だったのだと。

  本当に今回は勉強になりました。(み)


東と西の食文化の境目を求めて~肉編~②

さて、①を書いた翌日、Nさんから「豚肉文化の関東以北で美味しい牛肉が育ってるのは何故?」という、単純そうで単純じゃない疑問を投げられ、調べた結果が下記の文。お暇なら読んでいただければ幸いです。

尚①は こちらから 読めます。



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「豚肉文化の関東以北で美味しい牛肉が育ってるのは何故?」
しかしこれを説明するためにはまず日本での食用肉の歴史から紐解くべきだと思い、長くなるが少々お付き合いくださると助かるわけで。


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1)醍醐など、乳製品の文化が既に天平時代には存在していた


まず日本での牛の家畜化は縄文晩期から弥生文化晩期の頃で、牛の遺骨が多数発掘されている。家畜化された牛は農耕作業に使役されるようになり、ま た搾乳も行われて醍醐(クリーム)や蘇(チーズ)等を作っていた。これらは滋養として天皇に献上されたという史実も。既にクリーム等乳製品が存在していたインドの食文化が仏教と共に日本に渡ってきた事を考えれば、当然の事であろう。(余談だが、コーヒーホワイトの代表格、「スジャータ」という名称は、長期 間の修行に疲れた仏陀に<乳粥>をさしあげたという娘の名前「スジャータ」からつけたという。)

平安時代までの仏教の威力というのはかなりのものであった。殺生を禁止は言わずもがな。また、牛は仏様の使いであり、インド同様食べる事なんて…という発想は十分にあっただろう。しかし時代は流れ、仏教中心の政策が崩れ始めた頃、田舎では狸やイノシシ、鶴、鹿、うさぎなどを食べていたのである。ただし牛は使役動物として民衆にはそう簡単に殺す対象ではなかったとも思える。ここで昨日の日記を思い出していただきたい。東の豚肉、西の牛肉。そして東は元来、馬肉文化と言える基盤があった事も。

 ●鎌倉時代の巻物『国牛十図』(上画像)には牛は箱根より西の土地に描かれており、関東以北には一頭も描かれていない。これは、北の地方では冬 が長く、農耕適期が短いため、作業のスピードが早いことが要求された(水田耕作での馬の時速は約4.0km、牛は約2.5km)ことや、馬の厩肥が発酵に よって地熱を高める効果があるのに対して、牛の排泄物は「冷肥」で、寒冷地に向いていないことによるため●by畜産図鑑

関東=馬、関西=牛という理由は、ここにあったのである。スッキリ。



2)肉食牛の時代

日本古来の牛は現在でも山口県萩市の見島に残る黒毛の見島牛ワシントンワインのインポーター日記
その面影を見ることができる。四肢が短くてしっかりとした、使役用とわかる体格をしている。これに「食用」として肉食が解禁された明治時代初頭より、外来種を掛け合わせたものが現在の「黒毛和種」と呼ばれる牛なのだ。ちなみにこの時代、東京にはなんと500軒に上る「牛鍋屋」があったという。畳であぐらをかいて食べる事から別名「あぐら鍋」。かの仮名垣魯文は「安愚楽鍋」と当て字をしたほど大好きだったらしい。「牛鍋食はねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」とまで言い切った。

 
「和牛」とは日本古来の食肉専用種で、昭和19年に黒毛和種牛褐毛(あかげ)和種牛無角和種牛の3種が和牛として認定され、昭和29年に日本短角種牛が追加された。このようにひとくちに和牛と言ってもこれら4種の総称として使われる事が多い。
昭和20年頃までは役肉兼用種としての利用が多かったものの、昭和30年頃から農業の機械化が進み、トラクターが急速に普及したため、役用牛の需要が激減した。それとともに和牛は霜降りの入った肉質をもちつつ増体率もよい、また歩留りが高い肉用種として改良が行われていった。努力の結果、産肉性と肉質に優れた黒毛和種が生まれた。



3)豚肉文化の関東~東北に何ゆえ牛の名産地があるか

東北の代表的な肉食牛は「前沢」「江刺」(岩手県)や「米沢」(山形)だ。前述の岩手牛は黒毛和種で、篤農家の出身であった当時の岩手県知事・ 國分謙吉は、家畜を飼うことで田畑を肥やす堆肥が得られることを「家畜は肥料の督促なり」の一文に託し、県内の農家に畜産振興を説いて回り始まった。(但し上にあるように、寒冷地では牛の堆肥は向かないはずで、国分謙吉が何故牛にこだわったかは不明)
当初岩手県は、豊富な草資源を活用し、昭和30年代半ばに江刺市農協は優良な牛の生産に努め、岩手県産黒毛和牛の子牛「陸中牛」として銘柄確立し、産地の発展に大きく貢献。さらに、昭和40年代に入りこの地域で生産された優良な子牛を肥育した江刺牛、水沢牛、前沢牛などの肉牛ブランドの確立の動きが活発化していった。
東北大学名誉教授である水間豊氏の話によると「前沢牛は昭和44年から始まり、私は当時、日本農業賞の東北地区審査委員長として前沢を訪れ、 東北地区代表として前沢牛を推薦したのです。この賞はNHKと農協中央会の主催でしたので、テレビ番組で前沢牛が紹介されました。その後も前沢としては大 きな牛肉の品評会で優秀な成績を取ることが宣伝になるということで取り組み、力を尽くしてこられたわけです。」とある。

同じく黒毛和種である山形の米沢牛は別の動きで有名になった。
今から130年程前に米沢牛が登場した。きっかけは米沢藩の藩校で英語の教鞭を とったチャールズ・ヘンリー・ダラスという人物が明治8年に居留地へ連れて帰った牛が美味しいと評判に。彼はお抱えコックの万吉と言う青年を連れていたという。彼に牛肉料理をさせたのが、米沢牛の美味しさが世に知られるようになった始まりである。明治時代中ごろには家畜商が横浜へ牛を持っていって好評を博し、多分外国人居留地を中心に牛鍋屋でも使われたであろうと考えられる。
なお、松阪牛を西の横綱に仕立て上げたのは今でも松阪市内にある「和田金」という精肉店を明治16年に開業した和田金兵衛。やがて和田金は松阪で牛肉を食べさせる店を開業させた。いつしかお伊勢参りの途中で口コミで立ち寄る人が増え、全国的に有名に。昭和29年に徳川夢声が雑誌対談で「牛は松阪牛だね」と言ったことでさらに全国に知られるようになった。前沢牛のNHKといい、マスコミの力って今も昔も凄いなぁと思う次第。
 
 
以上、何ゆえ関東以北に美味しい牛が存在するかという結果である。ちなみに勿論上記の牛は美味しいが超高級品でなかなか一般市民の口に入らないのも悔しいかな事実。そこで仙台にいた頃、私が仲良しの精肉店店主に薦められたのが仙台牛(黒毛和種)。いわゆる横綱級の和種でなければ、さほど目の玉が飛び出る金額ではないということである。いわゆるブランド牛でも、大関や小結級のものであれば結構リーズナブルなのである。しかし販売圏内が狭いので、オーダーするならネットがお勧め。
石垣島の石垣牛、三重の伊賀牛、岐阜の飛騨牛、山梨の甲州ワインビーフ等がそうである。(み)

東と西の食文化の境目を求めて~肉編~①

実はこれからお読み戴く文は、私が某SNSにて書いたもの。
それを編集し直してお送りいたします。
というのも今日、「肉じゃがの【肉】は牛肉だ、いや、豚だ」という白熱の議論があったため。
皆様の所では如何ですか?


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昨日の日記コメント欄で、Nさまと「関西では肉言うたら牛肉の事やで」という内容のやりとりをしていたのだが、果たして糸魚川~浜名湖ライン(ここがどうやら文化の東西の分け目らしい)を境に、どれだけ文化が違うのか暇にあかせて調べてみた。


☆「牛肉」と「豚肉」~肉じゃがの肉は牛? 豚?

まさにこのタイトルで調べた大学の先生がいる。園田学園女子大学国際文化学部、助教授である黒崎良昭氏。

●関西6府県だけの統計をとってみると、牛:豚=109:2と牛肉の圧勝で、この地域は「牛肉の入っていない肉じゃがは、肉じゃがではない」(大 阪府)という意見に代表されるように、「牛肉の天下」と言えましょう。全国統計でも、牛:豚=71%:21%と牛肉の優勢は変わりません。ただ、東日本には、「牛肉の肉じゃがが存在することすら知りませんでした」(宮城県)といった声が多いのも事実です。そこで、試みに、糸魚川-浜名湖ラインで区切って統 計しなおしてみました。結果は、ラインの東側では牛:豚=38%:62%、西側では牛:豚=88%:12%と、かなりの東西差が見られることが分かりました。● 黒崎氏のデータより引用


と言うわけで、糸魚川~浜名湖ラインの文化的区分けがある程度確かな事と、牛肉使用頻度で関西・関東が区分け可能とした上で、んじゃなんで関西が牛肉文化なんだと。
それに関しては旭化成のHPでうなずける答えを発見。


●近畿は牛肉、関東は豚肉、というように消費の主流に違いがありますが、この背景には長年の食習慣の違いがあげられます。関西で、牛肉の消費が多 いのは、農耕や荷車引きに、関東では主に馬が使われたのに対し、関西では牛が使われていて、これが、牛肉の大きな供給源となったことです。 そのこともあり、明治になり、肉類食用の禁令が解けるとともに、たちまち牛肉のすきやきが登場しました。そして、すきやきやステーキなど高級料理に使われ る以外の肉も、関西では惣菜用として広く使われました。
 東では、肉じゃがの肉は豚が当然とされていますが、西では牛肉が当然で、食文化の違いをはっきりとみることができます。 西での牛肉は、特別な部位以外は日常食であったのに、東では特別のごちそうのままであったというわけです。また、牛肉の産地も、但馬が飼育地の神戸牛、滋 賀の近江牛、伊勢の松坂牛をはじめ、岡山県、広島県など、関西周辺に分布しています。なお、関東は豚肉といいますが、本来の豚の産地は九州で、現在でも豚 の大飼育地は宮崎、鹿児島などの南九州です。●
旭化成のHPより引用



東京の下町では桜鍋と称して馬肉を食べさせる有名店「みの家」というのがある。父のお気に入りで、よく連れて行ってもらった。桜鍋や馬刺しは私の大好物である。なので江戸っ子も馬肉食の習慣があったことは事実だ。
では何故関東は馬肉文化が栄えなかったのか??
そこが気になるところでもあり…豚肉で有名なのは確かに九州であって、関東ではない。


ところがこれを調べるのが結構大変だった。ネットで落ちていたのは「という文献を読んだ」ろいう意見ばかりで、公式ソースなどない。ではその文献を…と思ったが、古書らしく、古書店に行くか国立図書館へ行かないと閲覧できそうにもない。ということで何ゆえ関東に馬肉文化が残らなかったかの個人の意見:

●かつて西日本では農耕用に牛を多く飼育しており、老牛をすぐに食べやすい環境にあったことが牛肉文化発展のひとつの背景になったということを聞 いたことがあります。一方、関東では農耕用に馬を多用しており、軍馬としての需要から馬肉文化はおもったよりも広がらず、飼育に広い土地を必要としない豚 が明治時代以降、関東一円に広まったということも聞きました。しかしながら、新潟から会津に抜けるあたりは肉屋さんでも普通に馬肉を売っていて、地域性を 感じて面白かったです● ネットのコメントより引用


馬刺を食べる習慣があるのは宮崎、会津、宮城、北海道。どこも有名な馬の生産地。あらこの土地って軍馬の生産地でもなかった??と、調べていくとかの地には日本軍が軍馬を購入・育成するために造った「軍馬補充部」というのがあり、それらの支部の場所=馬の産地と考えれば、馬肉食の地域がわかるかなと期待した。

釧路支部 (北海道)
川上支部 (北海道)
十勝支部 (北海道)
根室支部 (北海道)
三本木支部 (青森)
白河支部 (福島)
六原支部 (岩手県・水沢)
萩野支部 (山形県・最上)
大山支部 (鳥取県・大山)
高鍋支部 (宮崎県・高鍋)
雄基支部 (朝鮮・雄基)
朝鮮補充馬廠 (朝鮮・会寧)
豊橋臨時補充馬廠(愛知県)
第一調馬隊(東京)
第二調馬隊(宮城県玉造郡)


やはり殆ど馬肉で有名な土地と被らないか??
東北だと仙台に近い第二調馬隊ガ軍馬購入地として指定した岩沼市、ここは博物館も残っているのだが確かに一般家庭で馬刺し食べる土地だし。北海道在住の知人は、よく馬肉を薄切りにして燻したお手製馬肉ジャーキーを手土産にくれたなあ。


なるほど、土地が広くないと馬は育てられない。
馬は軍隊で使用する。
肉食文化は日本では近世の話。日本軍が台頭してきた頃に被る=馬→軍馬→戦死 食うところさえ残らない。
それで東は豚…と。
というわけで糸魚川~浜名湖天下分け目の肉騒動はこんな感じで落ち着いた?!

今度は関東で天カス(あぶ玉)をお金払って買わなくてはならなかった事に驚いた「天カス話」でも調べてみようか。関西じゃあんなん「カス」やからと無料でくれるところが多いのだが、東京や東北ではスーパーでそれ専用に小分けされて「揚げ玉」という恭しい名前で陳列されているのには驚いた。

(続)