死にたいって言うのはずるい。
わたしは一体どうしたらいいのか。
死にたいって人に言う人は大概なにか違うものを求めているのはわかるんだけど、それをわたしに言うことがずるい。わたしは精一杯なにも知らないふりしてわかんないふりして子供なふりして、精一杯を返す。
やさしさが欲しいからわたしなのか。
わたししかいないからわたしなのか。
こういうのは弱さだ。だから誰にも言いたくない。彼氏にさえ言いたくない。幸せな人に言いたくない。だからわたしは同居人には何でも言えるのだと実感する。わたしは同居人になにも求めていないし、求めるものは返ってこない。「アミがかわいそう」なんて言葉、絶対言わない。そしてそれこそわたしが欲しいものだ。
親がいないことが当たり前の子は親がいて当たり前の子の同情が理解できない。
それと同じことを、同居人は振舞って、彼氏は振舞えない。
比べているわけではないけれど、この先、「かわいそう」だなんて思われたら恐怖。
だけどやっぱりメールしてしまうのは、なんでなんだろう。わたしは何を彼氏に求めてメールするんだろう。悩んで悩んでメールした。なんでだ。心配して欲しいのか?ちがう。かわいそうな子だと思われたいのか?ちがう。
ただ言いたかっただけ。
わたしは誰かがわたしの話を聞いて泣いてくれるとき、それがわたし自身のことだったら、なんで泣くのか理解できない。シンパシーとかわからない。わたしじゃないのに泣くのがわからない。わたしにしかわからないことなのに泣くのがわからない。オーバーシンパシー。
そんなのしないで、さらっと、何事もなかったようにかわして、あとでこっそりいいこいいこしてくれた方が100万倍も伝わるのに、って、そういう優しさの表現の仕方に慣れしまっているから、いまさら彼氏のくれる普通の優しい優しい愛情表現がうまくかみ合わない。
つーか、わたしは一体なにが言いたいんだ。
なにが悲しいんだかわかんないけど泣きたくて泣いて、たすけてって思った。だれに助けて欲しいのか。ただ猫が欲しいって思った。猫しかこういう悲しいかんじは癒せない。人には求められない。100%の正解は猫にしか出せない。
つーか、この先、猫だけ必要って、わたしの行く末、猫おばさんだ。
書けることは良いことだ。すこしまとまった。
こうやって21世紀の人はごまかしごまかし生きているのだし、生きていくのかしら。ブログに書いちゃえば、すっきり爽快、みたいな。新しい癒しの形。
そんでこうやって、元に戻って後悔心がわき始めてくるんだよな・・いつもどおり。「計画通り」(ライト)


