集団圧力に屈してコントロールされる人
でもこれは自己責任としか言いようがない。
統一教会の青春を返せ訴訟からエホバの証人のバプテスマ無効の正当性を考えてみるシリーズの続きです。
その② は 「マインドコントロールを全面に出しても自己決定、自己責任であるとの主張は覆らない」です。
あちらの魚谷様の記事より引用させていただきます。
↓
「青春を返せ」裁判と「マインド・コントロール理論」
2012年10月17日
http://suotani.com/archives/346
(引用)
この「マインド・コントロール理論」は法廷でも否定されています。法廷では、「マインド・コントロール理論」は主に「青春を返せ」裁判で論じられています。「青春を返せ」裁判とは、統一教会を脱会した元信者らが統一教会を相手取って起こしている集団訴訟のことです。原告は主に、「われわれは統一教会の名前も実態も知らされないまま虚偽の勧誘を受け、正常な判断能力を奪われて入信させられた。その結果、長期にわたって精神的に抜き差しならない状況に置かれ続け、違法な行為(いわゆる霊感商法をはじめとする経済活動)に従事させられ、この間、ただ働きであったので、その逸失利益、慰謝料等の請求をする」と主張します。このような裁判が全国各地で起きましたが、この原告のほとんどが強制改宗によって棄教した人たちです。そういう人たちが統一教会を訴えてきました。法廷では「マインド・コントロール」を全面に立てて争いましたが、それに対する初めての判決は1998年3月26日の名古屋地裁で出されました。この裁判では、元信者の女性6人が統一教会を相手に総額6千万円の損害賠償を求めていましたが、稲田龍樹裁判長は原告の訴えを棄却し、統一教会が勝訴しました。そこで裁判長は、「原告らの主張するいわゆる『マインド・コントロール』は、それ自体多義的であるほか、一定の行為の積み重ねによる一定の思想を植え付けることをいうと捉えたとしても、原告らが主張するような強い効果があるとは認められない」と述べています。
これが「青春を返せ」裁判に対する初の判決になります。その後、原告は控訴し、控訴審では和解をして、一応決着がつきました。
次に出た判決は1998年6月3日の岡山地裁判決です。統一教会を相手に元信者の公務員男性が200万円の損害賠償を求めた裁判で、ここでは小沢一郎裁判長が、「原告○○は最初に勧誘を受けてから棄教、脱会に至るまで約1年5カ月を要しているが、その間、被告法人の教義、信仰を受容する過程において、その各段階毎に自ら真摯に思いに悩んだ末に、自発的に宗教的な意志決定をしているというほかはない」と述べています。また、勧誘や強化のあり方についても「社会的相当性を逸脱したものとまではいえない」として、原告側の訴えを退けおり、この岡山判決でも統一教会が勝訴しました。
・・・
しかしながら、この疑問の残る広島高裁の判決においても「マインド・コントロール理論」に関しては認めておらず、判断を留保しました。判決では「なお本件においては、控訴人が『マインド・コントロール』を伴う違法行為を主張していることから、右概念の定義、内容等をめぐって争われているけれども、少なくとも、本件事案において、不法行為が成立するかどうかの認定判断をするにつき、右概念は道具概念としての意義をもつものとは解されない」と述べています。非常に分かりにくい表現ですが、結局「マインド・コントロール」は不法行為であることを判断するための道具にならない、としているのです。すなわち、原告を勝たせているにも関わらず、法廷では「マインド・コントロール」を根拠に違法性を判断することはできないと述べているのです。この理論は現在の法体系を崩壊させる恐れがあるので、ここについては節度を保つが、原告は勝たせた、という裁判でした。
(引用終わり)
現在の法体系を崩壊させる恐れがあるので認められなかったというのは多分その通りだと思います。
「マインドコントロールされてました」と言えば責任を免れることが出来るようになれば、契約破棄とかも簡単に出来てしまうので裁判所は大混乱でしょう。
また特に宗教なんかでは、献金したけど後になってもったいないことをしたと後悔の念が出てきて「マインドコントロールされてました。返してください」なんて返還請求だらけになってしまいます。
だからマインドコントロールを全面に出した主張は認められなかったのだと思います。
(但し、だからといってこの方が書いておられるようにマインドコントロールは虚構・似非科学に過ぎないという証明にもならないと思いますが)
ただ、マインドコントロールという概念について社会に浸透させた功績は大きいと思います。
(統一教 会 の霊感 商法 ・違 法伝道訴訟 を担 当 して いた霊感 商法被害 弁護士連絡 会 の依頼 によ り,1993年に浅見定雄がスティーブン・ハ ッサンの 『マインド・コ ントロールの恐怖』を 翻訳出版)
●自己責任、自己決定だろ!という意見
http://www.chojin.com/seishun.html
https://ameblo.jp/yutaka-aiten/entry-11885139276.html
流行語になった「マインドコントロール」= 相手を批判するのに便利な言葉
http://www.kokon.net/kokoro/gendai/seishun_kaese01.html
統一教会への入信について考えてみよう。
原告たちは「研修会等を通じて、知らない間に洗脳教育に巻き込まれ、信教の自由を侵された云々」としているようだ。つまり、自分の意志で入信したわけではないというのであるが、私には納得できない。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/hokkaidoshakai1988/15/0/15_0_63/_pdf
MC概 念 を入信行為の説明 として用いるには問題が多い。人が教団による勧誘・教 化行為の中で入信するという過程を考 えれば,教 団による働 きか け(心 理操作,集 団圧力,行 動統制)は 入信の大 きな要因である。 しかし,個人の志向・認 知枠組みは多様であり,初 期の勧誘に乗 らないものが大多数であ るし,教 化に対する反応 も様々である。信者 として残 った人であっても,入 信 の要因は様々であろう。そして,何 より難 しいのは,要 因の直接的な証明が出 来ないということである
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従って,入 信行為が自己選択かMCか という二者択一的に証明でき ることではないことが明らかである。
・・・
ところで,筆 者は長 らくこの訴訟の意味 を理解できなかった。 霊感商法被害 は,教 団外部 の第 三者が詐欺・脅 迫的環境 で受 けた『 宗教 被害』
の損害賠償であるから,訴 えはしごく当然 に思われるし,事 実,被 害者の請求 は認められてきた。しかし,脱 会した信者が教団に対 して,信 仰生活 は全て間違いであったとして,慰 謝料を要求するということがありうるだろうか?し か も,霊感 商法 に従事 した元信者 が,自 分 達の被害者性 を訴 える ことは可能 か?
お そら く,違 法伝道訴訟 は宗教者 や宗 教研究者 の理解 を超 えていた。信仰 は 賭のようなものであり,未 来への期待でしかない。他人 には幻想 とも見 えよう。 世俗的な意味での客観性,保 証を求めた らそれはもはや宗教ではない。青春を 賭 けたのであれ ば,ど んな結末 であ ろ うと甘受すべ きで はないか と私 は考 えた。
(追記)
「青春を返せ」裁判と「マインド・コントロール理論」 | 「洗脳」「マインドコントロール」の虚構を暴く
http://suotani.com/archives/346
(引用)
法廷では「マインド・コントロール」を全面に立てて争いましたが、それに対する初めての判決は1998年3月26日の名古屋地裁で出されました。この裁判では、元信者の女性6人が統一教会を相手に総額6千万円の損害賠償を求めていましたが、稲田龍樹裁判長は原告の訴えを棄却し、統一教会が勝訴しました。そこで裁判長は、「原告らの主張するいわゆる『マインド・コントロール』は、それ自体多義的であるほか、一定の行為の積み重ねによる一定の思想を植え付けることをいうと捉えたとしても、原告らが主張するような強い効果があるとは認められない」と述べています。
(引用終わり)
青春を返せ裁判の支援者の会報みたいなのを見たんですが、そこではたしか
「自由って素晴らしい!自由に息が吸える・・・」
みたいな表現もしていた記憶があります。
マインドコントロールされてたことを主張するにしても、もし、そんな感じで
完全にその人の意志を失わせて他人にコントロールされるようなもの
みたいに主張し過ぎたのなら、そうした主張が逆効果になったかもしれませんし、
裁判長から
「原告らが主張するような強い効果があるとは認められない」
と言われても仕方がないように感じました。
その③に続きます
https://ameblo.jp/wt-nihonshibu/entry-12633291035.html