競技場で練習していると、ふと人が走るフォームを見つめていることがある。一人ひとり性格が違うように、走るフォームも一人ひとり異なる。参考にしたいなと思うフォームに出会うときもあれば、そうでない場合もある。
中学生や高校生は、まだフォームが完成されておらず、荒削りの場合が多い。一方、社会人となり、実業団やマスターズで陸上を続けているようなベテラン選手の場合、走り方にその人の思想が反映されているような印象を受ける。
個々の体型や骨格、くせなどによってフォームには特徴がある。中学生や高校生の走り方は、そうした先天的な条件に左右されたフォームが多いように思う。荒削りに見えるのはそんな理由だろう。
一方、長いこと陸上をやっていると、走りについていろいろと考える。あるいはいろんな人からアドバイスを受ける。その考えやアドバイスの蓄積が、その人のフォームに大きく影響する。結果として、なんというか、走りに対する思想にフォームが収斂されていく。
自分の思考がフォームをつくる。これは言い換えると、いかにいい考えを持つかが大切ということでもある。
一人ひとり先天的な違いはあるにせよ、いい考えを持って走りを正しく磨き続けることで、だいたいの人は、それなりのフォームで走れるようになると思う。そこに天性の才能は関係ない。記録は別にして。
不思議だと思うのは、明らかに特徴的な走りをしているベテラン選手を見たとき。よほどオリジナリティあふれる走りに固執しているか、周りの目が入っていないのか。自分の走り方を棚に上げてそんなことを思いながら、競技場で人のフォームを観察してしまう。
もちろん、走り方に正解はない。時代によって良しとされるフォームも移り変わっている。日本人と外国人で理想とされるフォームも違う。その中でも、明らかに前に進む推進力にブレーキをかける走り方を目にしたとき、「もったいないな」と思う。
「もうすこしこうすれば、もっとよくなるのに」
「それをアドバイスする人が周りにいなかったんかな」
人の走る姿を見ながらそんなことを思う。そして、自分はどうだろうと内省し、もっといい走り方があるのではと考えるその思考がまた、自分の走りを磨いていくように思う。