先日、人生初となる取材を受けました。
毎月5~10名の社長さんにインタビューしている自分ですが、
取材を受ける立場になるのは初めてで少し緊張しつつ、
結果としてベラベラたくさんしゃべりすぎてしまいました。
まとめるのが大変だったと思うのですが、
いい記事を書いていただき、とても感謝しています。
(大西社長ありがとうございました!)
取材を受けるということで、自分がこれまで辿ってきた道程を整理してみたのですが、
高校生のときから考えがまったくブレていないことに気がつきました。
いまのようにフリーランスとなり、自宅で仕事をしようと決意したのは高校生のとき。
あるテレビ番組で、アメリカでSOHOという仕事スタイルが注目されていると知り、
「自分もこれだな」と高校生の時に心にカシャンと記録されてしまったのです。
フリーランス、それも自然あふれる地元の我が家で仕事をしようと。
ライターになると決意したのは大学生のとき。
大学卒業後、陸上を続けるかどうしようか悩み、結果、陸上を引退すると決めたとき、
「さてどんな仕事をしようか」と考えた際の指針になったのが、高校時代に心に決めた思いでした。
田舎の家でもできる仕事って何だろう?
そう考えたとき、敬愛していた中島らもさんが思い浮かび、
「ライターならできるんとちゃうやろか」という安易な思いつきで、
これまた自分の心に「ライターになる」という記録がカシャンと入ってしまったのです。
別に文章を書くのが好きでも得意でもなく、
「田舎でできる仕事」という明確な目標を目指したとき、
自然と導き出された職業が、たまたまライターだった、というわけです。
だから、本当にコピーライターになってしまってからは、想像を絶するほど最低な毎日が待っていました。
まったく文書が書けないのにライターになってしまったのだから苦労するのは当然なのだけれど、
アホで容量のわるい僕は、「お前のコピーは小学校5年生が書く文章よりへたくそや」とボロカスに怒られ続け、
文字通りハナクソみたいな扱いをされ、ボロ雑巾のようにズタボロになるまでボディブローを打たれまくった。
取材の途中、「それでもなぜ辞めなかったの?」と聞かれ、
ふと自分の心に問うてみると、これといった答えはなく、
「自分の心に決めてしまったから」と答えるしかありませんでした。
僕は自分の心で決意したことはなかなかあきらめないクセがあって、
それが結果としていまにつながっているようにも思います。
こんな僕でもライター暦8年になってしまいました。
10年。とりあえず、10年やればそれなりのライターになれるのではないかと、
いまも勉強の毎日です。
僕はずっと、「夢と現実が直結した仕事」を目指しています。
夢だけを語るのは現実離れしすぎているし、現実だけだとおもしろくない。
どうせなら、夢を語り、その夢に仕事も添わせていくことができるならば、
それ以上の素晴らしい人生はないのではないかと。
一時期アジアにはまり、アジアの写真を撮り続けていたことが仕事につながり、
昨年、素晴らしいカメラマンである米屋さんからお誘いを受け、
南アフリカの豪華列車ブルートレインの取材にも出かけました。
そしていまは、自分が心から愛する陸上競技を再開し、
あわよくばそれを仕事にも直結させてしまおうと励んでいます。
陸上競技は趣味であり生きがいであり目標であり夢であり、そして仕事であり…と、
仕事にまでつなげたいのです。
馬鹿らしいと思われることが大半ですが、
馬鹿らしいと人が思うことをくそまじめにやり続けた人だけが夢をつかむと思います。
まあ、楽しくやるのが一番ですわね。
現在、ライフプラン実現のため、地元加東市に我が家の建築を計画中です。
これもめぐり合わせなのですが、僕の嫁さんの実家が大工さんなのです。
高校生のときの決意がいまにつながっていると感じています。
一本のゆるぎない軸で串刺しにされている気分です。