8年ぶりに出場した試合が無事終了した。
結果は、
幅跳び:6メートル46
三段跳び:記録なし(13メートル80の計測ラインに届かなかった)
だった。
結果だけを見るとビックリするくらいの低迷ぶりだけれど、僕自身は大満足で、次につながる非常に意味ある試合になったと考えている。
最初、兵庫選手権は出るつもりがなく、所属チームの方から出場するかどうかを聞かれた際にいったん断ったけれど、思いなおして出てよかった。本当に出てよかった。自分自身の現状のレベルを把握できたことにくわえ、陸上に真剣に取り組んでいる人たちとともに競い合ったことで、ものすごい刺激になった。
陸上に賭けている大学生や一般の人の真剣な姿に、打ちのめされた。ようやく競技者としての本能、みたいなものを取り戻したように感じる。
今年に入り、公園や河川敷で練習し、ほんの1、2ヶ月前から競技場で練習し出したばかりの僕にとって、陸上競技という真剣勝負のスポーツを、まだぼんやりとしか思い出していなかったことに、今回試合に出てようやくわかった。自分ひとりで練習していると、刺激が入らないから、自分の心と肉体の状態がまったくつかめていなかった。
8年間のブランクは、想像していた以上に大きかった。肉体的なブランクはもちろん、マインドのブランクも相当なものだった。まるで野生のライオンがうじゃうじゃいるジャングルのなかで、生まれたときから人間の家でかわいがられていた子犬がいきなり放り出された……心身ともにそれくらいの開きがあった。
僕もかつて、競技者として、ライオン野放しの状態の高原で、目を光らせ、きばをむいていたのだ。引退してから8年間で、きばはなくなり、肉食ではなく草食になっていた。8年間で、人間としてもちろん成長した。いまの僕はこれからも僕のままであり続けるけれど、そして願わくばもっともっと成長し続けたいけれど、同時に8年前の僕にもう一度戻りたいと思った。今回試合に出て、僕の闘争本能に火がついてしまった。
ただ、今回、三段跳びの負担があまりにも大きくて、太ももと膝と足首を痛めてしまった。太ももと膝に関しては、試合の途中ですでに危険信号が出ていて、「次跳んだらもたないかもしれない」と、棄権しようかどうか迷ったけれど、一か八かで跳んでみた。なんとか耐えたけれど、次、練習の再開が少し先になりそうだ。三段跳びは、練習していない体には負担が大きすぎたようだ。
今回、友だちが応援に来てくれた。幅跳びは、高校以来の友だちSとその嫁さん?が、暑い中、しょぼい僕のジャンプを見て応援してくれた。僕の変わり果てた姿、ちゃんとその目に焼き付けたかSよ! でもまあ、応援ありがとう。来年は一緒に試合に出るぞ。
三段跳びは、大学時代、ライバルとして常に一緒に試合に出てきたN君と嫁さんと2歳になる可愛いお子ちゃまが応援にかけつけてくれた。お子ちゃまは僕のジャンプを見てどう思ったんだろう。でもまあ、飛び切り暑かったと思うけれど、応援ありがとです。記録なしですんませんでした。来年、いっしょに試合に出よう。
◆ ◆ ◆
ここから先、競技を振り返りたい(これは僕自身のために書くもので、長いので、興味ない方は飛ばし
てください)
【7月11日】
曇り、高温多湿
幅跳び競技開始13時30分~
太陽は出ていないものの非常に蒸し暑く、日ごろ家のなかで仕事をすることが多い僕にとってこの熱さはいきり体にこたえた。
アップは、召集時間の1時間30分前にサブトラに入り、10分ほどじーっとしてからアップ開始。800メートルほど軽くジョギングするが、熱くてすでにバテぎみになってしまった。日陰に入って入念にストレッチ。とにかく体が固い。いつバチンと筋が切れてもおかしくないような感じ。あまりアップをしすぎると本番もたないと考え出す。シューズで100の流しを3本。体が重い。スパイクに履き替え、流しを2~3本。少し体に電気が入ってきた感じがするが、体の軸を感じることができない。足が後ろに流れる。つまりひきつけが素早くできない。
同じ幅跳びに出場する高校の後輩が、フロートをおこなっているのを見る。もう明らかに迫力が違う。この時点で、僕は痛感してしまう。「あかん、俺、明らかに体ができてなさすぎる」。
すでに熱さにやられ、アップはそこで終了。入念にストレッチをしてから、召集場所に向かう。8年ぶりの選手コール。またこうして試合に出ることになるとは……しばし感慨にふける。兵庫アスリートの方にかりたユニフォームに、前日急きょ手書きしたゼッケンをつけ、名前が呼ばれると同時に立ち上がってゼッケンの番号を見せる。ああ、試合の前ってこうだったと、思い出す。
幅跳びのピットに入る。これまで数多くの試合を、この神戸ユニバー競技場の跳躍ピットでおこなってきた。泣いた試合は数知れず、勝って笑った試合も数知れず……とは残念ながらいかないが、現役時代の僕はこの競技場で元気よく舞っていたわけだ。
助走練習を開始する。体が重い。ただ、足はきちんと合う。スピードが出ない。出そうとすると、足が後ろに流れてしまう。体の軸ができない。3本助走練習し、3本目、まだイメージに近い走りができた。こうやって試合前の助走練習の時間が僕は好きだ。これから始まる試合にドキドキ、ワクワクし、心躍る。今回、8年ぶりにその喜びに前身をふるわせた。幸せだった。
1本目の跳躍。よく覚えていない。風がよかったので、風に押される感じで助走をスタート。あとは、着地した瞬間の記憶しかない。とにかく幅跳びは着地ができない。計測ラインぎりぎりの6メートル40付近に着地。結果、6メートル46。正直、感覚としてはそれほどわるくない。でも、跳べない。短助走と跳躍距離が変わらない。このときに僕は悟った気がする。体の幹の一番奥深く、芯の部分のパワーが圧倒的に不足していると。爆発的なパワーを生み出す体の根幹が、いまの僕の体はスカスカなんだとこのときに感じた。
2本目の跳躍。よく覚えていない。記録は6メートル42。感覚は1本目と同様、そこまで悪くない。つまり、失敗ジャンプではない。つまり、現在の僕のベストということ。
3本目の跳躍。よく覚えていない。ただ着地前動作の際、少しふわっと浮いた気がした。記録は6メートル45?前後。記録すら覚えていない。3本目が一番いい跳躍だったという感覚はある。でも記録はかわらない。僕の中学校のときの幅跳びのベスト記録は6メートル57。その記録にすら及ばない。中学校の自分に負けた。発想を切り替えて、中学の俺よ、すごいな、と思うことでなんとか平常心を保った(笑)。あきらかに中学校のときより体も大きくなっているけれど、記録が出ない。それほど8年のブランクは大きいのか。そのことを痛感したが、現状がわかり、やる気がみなぎるのを感じた。
【7月12日】
快晴
11日は、幅跳びが終わり、ベストを尽くした自信があったので、非常にすがすがしく帰宅する。三段跳びはエントリーはしていたものの、合同練習の際に、三段跳びを少しやってみて、とても出られる状態じゃないのがわかっていたので、今回の兵庫選手権はこれにて終了、のはずだった。
でも……。僕は、僕の性格上、それでは後悔すると思った。三段跳びは1日あいた13日にある。ということは、12日に練習することができる。そこで練習せずして俺は三段跳びをあきらめるのか、と考え出すと、いてもたってもいられなくなった。
そして12日、またユニバーまで行き、ひとり、サブ競技場で練習した。まず9メートルの踏み切り板から跳躍してみる。十分に跳べる。バウンディングをしてみると、思いのほか、体が軽い。次に11メートルの踏み切り位置からジャンプしてみる。わりと軽々と入る。これはいけるかも、と、13メートルの踏み切り位置から思い切って跳躍してみる。15メートル程度の短助走から跳躍。結果、入らなかった。2度目も、入らなかった。3度目は、つぶれた。そして4度目、これが入らなかったら、明日は出ない。そう自分にプレッシャーをかけ、結果、13メートルの踏み切り位置から、なんとか入った。
よし出よう。
決心した。
【7月13日】
快晴
三段跳び競技開始12時~
選手コールの1時間前にサブトラック入り。昨日の三段跳びの練習で、もう太ももはパンパンにはり、膝と足首が悲鳴を上げている。しかも、昨日の練習のときもそうだったが、頭が痛い。直射日光に慣れていない僕は、競技以前に、暑さにやられてしまっていた。昔、一度熱中症にかかったことがあったが、それと同じ症状が出だした。とにかく頭が痛い。
ジョギングは800メートルで終え、影に行って休みつつストレッチ。体は幅跳びのときより若干柔らかくなった気がする。時間をかけてストレッチ。体の回復を待つ。その後、シューズで流しを2本。明らかに体が重い。完全に体がバテていた。その後、かるく基本動作。ハムストリングを使うことを意識した動作を数本。その後、スパイクをはいて流しを2本。まだスパイクなので気持ちよく走れたが、幅跳びのアップ時よりもさらに走りのイメージはわるい。体が動かない。いたるところが痛い。
流しを終えて、再度、日陰で休みながらストレッチ。その後、バウンディング。バウンディングはまだ体が軽い。体の軸を感じることができ、いけるかも、という感触をつかむ。でもバウンディングをおこなったあとは、きき足である左足太ももが強烈に痛む。体幹がきしむ感じがする。でも、続けてバウンディングを何本か行なう。感覚をつかむために。バウンディングの感覚はわるくなかった。そこでアップ終了。選手コール場所に向かう。
選手コール後、跳躍ピットへ。このとき、俺はやっぱり三段跳びが性にあっていると感じる。なぜか跳べそうな気がする。走りの調子はわるいけれど、バウンディングの感覚はいいからそう思ったのかもしれない。助走練習を2本。このときの時間がたまらなく楽しかった。試合開始。みんなレベルが低い。それを見て、今回、もしかすると……と思い始める。
そして1本目。13メートルの踏み切り板から砂場には入ったけれど、測定ライン13メートル80に届かず。完全につぶれた。というか、つぶれていないのかもしれないが、体がとにかく浮かなかった。どっと汗が噴き出す。暑い。少し、選手休憩場所で座って心身を落ち着かせる。体のダルさが増してくる。
この日は出場選手が多く、次の跳躍まで30分待たなければならなかった。その間をどう過ごすかが大切だったけれど、僕はどうにもバテてしまって、何をしてもだめだった。少し体を動かそうとシューズで軽くジョギングすると、もういやになるほど体が重い。そして頭が痛い。これはダメだと思い、トイレにいって冷水を体に浴びせ、バシバシ叩いて気合いを入れる。
跳躍2本目。ステップでつぶれる。見てくれていたN君に聞くと、つぶれたけど、わるくないよ、とのこと。そう、跳べないだけであって、わるくないのだ。でも僕の身体能力がものすごく下がっているため、距離が出ないし、少し軸がぶれただけで体を支えることができずにつぶれてしまうのだ。
三段跳びでは、つぶれた跳躍の際の体にかかる負担はとてつもなく大きい。2本目の跳躍で、僕の体は完全に終わってしまった。左足を上げることもしばらくできない。膝が悲鳴を上げている。足首のじん帯が切れそうな雰囲気がする。棄権かな……。そう考えたけれど、ひとまず休む。
またトイレにいって冷水を体に浴びせかける。ピットに戻り、ジョギングする。だるい。日ごろ練習していない僕は、もう完全にバテていた。各選手もこの暑さにやられ、記録は非常に低迷。チャンスだとはわかっていても、どうにも体が動かない。30分の待ち時間の間の葛藤は続く。
太ももの痛みが次第にやわらぎはじめる。次跳ぶと、肉離れするかもしれないと思った。膝のじん帯が伸びて今年が終わってしまうかもしれないとも考えた。でも跳ぼうと決めた。そうしないと、きっと僕はベストを尽くせなかったことに後悔すると思った。
バウンディングを少ししたけれど、もう左足は上がらない。ホップとステップを左足でおこなうけれど、左足が動かないから、三段跳びができるかどうかもわからない状態にまできてしまった。でも、イメージを描き続けた。いいイメージを描き続けた。そして心を軽やかに保ち、プラス思考に切り替えた。気持ちがラクになった。
3本目の跳躍。つぶれずに跳べた。結果はまた測定ラインには届かなかったけれど、つぶれずに跳べたことにおどろいた。自分なりにベストを尽くし、すがすがしい気分で試合を終えることができた。
陸上を現役で10年続けたが、測定ラインがある試合で記録なしで終わるのは、初めてだった。前回出場したこの兵庫選手権は、優勝した。そして8年後、記録なしに終わった。すごい落差。でも、その8年がなかったらいまの僕はない。複雑な心境だった。陸上をやめたのは、僕の判断だった。この8年の間、もし陸上を続けていたら……なんてまったく考えもしなかったし、記録なしに終わったいまも、8年前の僕の選択は正しかったと確信している。
陸上を引退し、8年間、苦労した結果、いまこうしてフリーランスで働くことができているわけである。
現状を知った僕は、いまやる気に満ちあふれている。いよいよ気合いが入り、自分、再起動、といった心境である。8月と9月に出る試合も決めた。マイルストーンがあれば練習にも気合いが入る。
8月の試合では、幅跳びは6メートル80、三段跳びは14メートル50。
9月の試合では、幅跳びは7メートル、三段跳びは14メートル80。
までもっていくのを目標にすえた。