この前、たけしの誰でもピカソに、クラシックピアニストのフジ子・ヘミングさん、ジャズピアニストの上原ひろみさん、シャンソン歌手の佐々木秀実さんが出演されていた。
フジ子さんはもう大ファンなので、心を集中し、文字通りテレビにかじり付つくようにして観た。
感動した。常に目をうるませながら、観た。
感動とは、感じて動く、と書く。
心を動かされた。
今回、フジ子さんは、リストではなく、ベートーベンの「テンペスト」という曲を弾かれた。
僕はクラシックのことはよくわからないけれど、このテンペストに非常に心を打たれた。
フジ子さんは、幼いころに片方の耳の聴覚が失われ、ヨーロッパに渡って、チャンスをつかみかけた矢先にもう片方の聴覚も失われるという不遇に見舞われている(その後片方の耳は少し回復されている)。そんなフジ子さんは、どのような思いでベートーベンを弾かれたのだろうか。フジ子さんは、人生でいちばん辛い時期、リストのラ・カンパネラと、このテンペストに支えられたという。どのような思いで弾かれたのかは、僕には到底わかるはずもない。たぶんこうではないかと、わかったように書いてしまうこともしたくない。でも、フジ子さんの演奏を聴いて感動に身震いしたのは僕自身が生んだ感情だ。この感情を大切にしたい。
一度だけ、フジ子さんの生の演奏を聴きにいったことがある。
そのときも終始、心が揺さぶられ続けていた。
なんでだろうか。
同じ周波数の音は共鳴しあうけれど、なにかフジ子さんの心の周波数は聴衆の心と共鳴する独特のものなのだろうかと思わずにはいられないほど常に心が動いて仕方がなかった。それは演奏による音だけではない何かがある気がした。ひとりの人間がどうすればここまで多くの人間の心を共鳴させることができるのだろうか。
このブログにも登場している大学時代の同士レも、誰でもピカソを見てずっと泣いていたという。その気持ちよ~くわかる。
音楽には人を感動させる力がある。それは奏でられる音のもっと奥深く、音の背景に広がる哀しみとか、喜びとか、怒りとか、愛とか、まさに人間の心が占める割合が非常に大きいと思う。そんな目に見えない何かが、聴く人の心と同調し、ふるえ、聴く人それぞれが、それぞれに生きてきた人生と重ね合わせ、そうなんだ、と共感し、安心し、勇気づけられ、明日への希望を与えられるのかもしれない。
自分の場合、何をもって人を感動させることができるのかと考える。フジ子さんのようにはできなくても、人の心に多少の汗をかかせるくらいの感動が与えられる人間になりたいなあと思う。