
実はこのブログのタイトル「Natural Flow」は、大好きな方丈記から拝借した。
行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず(鴨長明)
人は常に変化し、成長するもの。
今ここにフォーカスして、生きる。
というようなことをいつも考え、それなりに努力し、行動してきた人間だと思う。
だというのに

家の中には使われていないモノ、不要なモノがいっぱい。
全然シンプルじゃないじゃないかぁ~!!
何とかしないと…と思う気持ちを、忙しさで置き去りにしてきたことを認め、
整理整頓をしようと決めた夏休みであった

掃除や片付けって、やったら気持ちいいのに、やるまでが面倒くさいし、
時間がかかるから、なかなか重い腰が上がらない。
家事の中で料理は好きだけど、そっち系統は、どうもしかたなくやっている。
そんな私にエンジンをかけてくれた本が、
「不思議なくらい心がスーッとする断捨離」(やましたひでこ著)だ

断捨離とは、「モノを捨て、片付けることで、心のガラクタもスッキリ整理し、
人生をごきげんに変える方法」のこと。
もとはヨガの「断行」「捨行」「離行」という、
心の執着を手放すための教えに由来している。
この教えを日常に落とし込み、片付け術として応用したものが「断捨離」だ。
まず最初にやることは、
「自分」に「今」必要なモノだけを残して、後はひたすら捨てる
という作業。
必要でなくなったモノに対して、「捨ててもいいんだよ」と自分に許可を出す。
片付けられないのは、モノが多すぎるから!と断言する著者に、
「モノは大切にしなければ」「ゴミを多く出してはいけない」という
心のブロックを外してもらった。
モノは使ってこそ
モノは、今この時、必要とされるところへ
モノは、あるべきところにあって、美しい
(「断捨離」モノとの関係の定義)
使われていないモノは、家の中に「棄てている」ことと同じ。
打ち棄てられたモノがたくさんある空間に、よい気が流れるはずがない。
時間とエネルギーを注ぎ、お金もかけて打ち込んだテニス、書道、
語学(中国語・ドイツ語・英語)、コーラス等々、
それに付随したモノも押し入れの奥に押し込められている。
今の私がするか?
NO!
もしまたやることになったら、そのときはそのとき。
道具が必要になったら揃えればいい。
習得した技能や思い出は、道具が持っているのではなく、私の中にある。
たとえ今は使わない技能であっても、大切な経験として生き続けている。
もったいない、いつか何かに使えるかも…と思ってしまってあるモノ、
今は着ない洋服、いらない本やノート類、仕事で使った書類、
遊ばない子どものおもちゃ、手作り品、いただきものなど、
使っていないものは山ほどある。
きっと家中のモノの半分以上を占めているだろう。
そのモノが使えるかどうかより、私が使うか?という自分軸が大事なのだ。
「断捨離」の美学に深く共感してスタートできたので、
今回は続いているのだと思う。
捨てるモノたちに「ありがとう。さようなら」と声をかけ、
ごっそりゴミを持って行ってくれる収集車を感謝の心で迎える。
週2回のゴミの日が楽しみだ。
捨てるだけでなく、人にあげたりバザーに出したり。
それぞれのモノがどこに行けばいいかを考えながら、
一つひとつ潔くケジメをつける。
この勢いに乗って粗大ゴミも出そう!と申し込んだら、
月1回の回収日が、ちょうど満月だった。
満月は、手放すものをアファーメーションする日。
すごく後押しされている気がする

さらにレベルアップして、いらないモノが入ってくるのを断つ「断」、
モノに対する執着から離れ、ゆとりある“自在”の空間にいる「離」の域に
辿り着きたいところだが…、
まだまだモノが多くて、
しばらく、我が家の「捨」は続きそうだ。