さて、米田氏から渡された連載原稿のうち、地震の話題が中心のものが幾らか含まれていたが、ひとまず全編まとめて プリンターを使って手作り本を二十冊ほど作ってみた。
案の定、歴史がメインの読者にとっては 地震の話は余計なものに映ったようで、関連の薄いものは除外して、よりコンパクトなものへの作り直しが必要と感じられた。
その頃、私は前記第四書にある長谷寺の倭国時代の所在地について 是非突き止めたい、という気持ちが抑えられず、電話で議論する日々が続いた。
やがて、米田氏から、移築前の所在地の見当が付いた、と連絡が入り 現地で確かめようということになり、2008年十一月、博多駅で落ち合い、佐賀県三瀬村に向かった。
その時のいきさつも含め、倭国長谷寺に関する詳細は 〝311テロ〟 後に完成したAB&JC PRESS版第二書『現代を解く・長谷寺考』を読んで頂ければ総てが理解できる、と自信を持って言える。
その日の晩は 二日市のホテルで一杯飲りながら 古代史談義となり、米田氏の引き出しの多さ・深さに圧倒された。
二人とも松阪生まれということもあり、賀茂真淵と本居宣長の「松阪の一夜」を勝手に連想していた。
「りょうぞう&しょうぞう の 二日市の一夜」と将来語り継がれるほど「長谷寺移築説」が認められる日が来る事を待ち望んでいる。
最終日の太宰府巡りを終え、帰りの新幹線内で米田氏は自分がガンである旨 私に告げた。
その瞬間から 私の中では『地震と建築と』の作り直しと、米田氏の健康寿命の維持が最大のテーマとなった。
米田氏自身にとっては ① 自身のアイディアによる免震装置の普及と会社の発展 ② 建築史学をベースにした倭国の真相の解明 ③ 病との闘い の三つが残りの人生の重要な目標になったと思う。
そこで、二人の目標は まず一冊を完成させること、即ち、本書の初版に当たる『続 法隆寺は移築された』のことである。
最悪一冊で終わるかと思われたのだが、ハードな 〝ゆだきん医療〟 を避け、ひと工夫した闘病をしながら、その後 二人がかりで長谷寺、宇治平等院、柿本人麿の各々をメイン・テーマとした『長谷寺考』、『東アジアの悲劇』、『柿本人麿の真実』計四作を作り上げた。
氏の闘病・治療方針について言いたいことはいっぱいあるが、今となっては質問をぶつける相手が居なくなってしまったことが一番つらい。
以上が『法隆寺は移築された』との出合いから『続 法隆寺は移築された』発刊に至るまでのショート・ストーリーである。
この改訂版を読んで 「米田建築史学」に首尾よく入門できた方々には、その後の三冊に進まれることを是非お勧めする。
各テーマの新知見が三冊それぞれに盛り込まれており、新泉社版の文中で米田氏が語っていた展望が 大方 成就されていることに驚かれることと思う。
著者は有言実行の人であった。
著者・米田氏に限ったことではないが、著作が複数冊ある場合、内容が重複することが珍しくない。
このシリーズもその例外ではないが、新しい方には必ず何らかの進展がある。
一冊の中でもテーマが重複するのは、原稿の書かれた時期に違いがあったからであり、プロの編集者が関われば、入念にチェックするところであろう。
しかし、ページ数が膨らんだ分だけ、理解が深まるというメリットもあるので、ノン・プロの編著者としては余計な小細工はしていない。
To be continued
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