続 法隆寺は移築された あとがき | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

5月28日以来、ネット上で電子書籍を展開するという意気込みで1冊分連載を続けてまいりましたが、いよいよ“あとがき”となりました。

 

 

電子書籍に似せた発信は、手間は勿論、集中力も必要で、予定していた2~4書の連載はもう止めておきます。

 

 

そのかわり、第1書の充実した後書きを読みやすい編集でお届けします。

 

 

本格的な出版は時間的にも、経済的にも不可能となりましたので、せめて第1書の中でも密度の濃い部分を読みやすくして発信することにしました。

 

 

少しづつ分割して掲載します。

 

 

 

 

あとがき

 

二十年程前、名古屋の鶴舞にある古書店で手にした『法隆寺は移築された』という不思議な(当時はそう思えた)タイトルの本が「米田建築史学」との出会いであった。私自身は自宅や仕事場の設計を手掛けるほどの建築マニアであったが、いざ 読み始めてみると 知らない建築用語に満ちており、ギブ・アップしそうになった。そこを我慢して、ひと通り目を通したところ、書いてあることは直感的に真実である、と思えた。著者・米田良三氏は建築家としての閃きを武器にして「移築説」に到達し、繰り出す仮説にはロマンがあり、謎解きの楽しさもあり、さすが 理系の歴史家だと感心させられた。さっそく 高校の同窓会の席で、東大出身の仲間に 「法隆寺移築説」 を披露したところ、「バカヤロー ! そんなことあるかーっ、教科書に書いてないがや!」 とB層(さなが)らに名古屋弁でまくし立てられ、こちらの闘争心に火が点いた。Xxxxxxxxxwwwwwwwwwwwwwwwww

その後、『建築から古代を解く』という第二作がある、と知るも入手できず、直接 著者にファックスを送りゲットした。これを契機に分からないことを質問するなど(0頁)、著者との お付き合いが始まった。 

その頃、米田氏は某建築雑誌に続けていた連載(計五十三回)を終え、その原稿を某社に持ち込むも 出版を断られた、という。小・中学校時代の学級文集、高校のクラス会の記念誌の編集などに手腕を発揮した経験から、米田氏の連載の単行本化に心が動き、ごく短い電話での話し合いだけで、編集・出版を引き受けるという約束をしてしまった。

当時、私はパソコンを触ったことすらなかったのだが、この機会に扱い方を覚えてしまおうと思ったことと、歴史・建築の学会が米田氏の連載の内容に不快感を抱いている、と聞かされ 〝自分がやらなきゃ 誰がやる ? !〟 の心境に至ったことも確かだ。もうひとつは、編集を担当すれば、米田史学の真髄をとことん学ぶことが出来るに違いない、と期待した。確かに、一読者であるよりは勉強にはなったが、その時は まさか十五年以上も のめり込むとは 全く予想だにしていなかった。ここで 〝はじめに〟 にある 自意識過剰の情報発信の物語の一部分として、米田氏の著作について 初めて学ぶ人たちのために オリエンテーションをしておきたい。kkkkkkkkkkkk

 

To be continued

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