米田史学を ひとまとめにすると182頁の上段のようになる。
読みやすいように抜粋掲載
500年代の終わり(法興帝の時代)、倭国の連邦の一つで東北に在る「日の本」の名称を譲り受け、倭国は「日本」を名乗る。
その後、白村江の敗戦、唐による日本占領、大和朝廷の「日本(倭)国」乗っ取り、と続き、乗っ取った側の大和朝廷が「日本」と成りすます。
この成りすましは世界に類を見ない徹底して醜いものであった。
建築、文学、絵画、彫刻、地名、人材等、九州から近畿に移動・改竄し、「倭国」の全てを消去し、悠久の大和を演出し、現在に至っている。
これでは「日本」の国号の成り立ちの真相は恥ずかしくて歴史教科書に載せることは出来ない。
倭国の終わりの70年間弱の「日本」と大和朝廷が盗んだ「日本」を区別するために、米田良三氏は前者を「日本(倭)国」と表記するように提案した。
我々は太古の昔から何も知らないまま過ごす、乗っ取り王朝の住人なのだ。
「米田建築史学」とは、消された倭国を復元するための学問なのである。
To be continued
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