法隆寺移築説! やっと浮上開始です | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

 

危機的な世界情勢の最中、国政に関心を持たない者が“法隆寺移築説”などに興味を示すとは とても思えませんが、四半世紀前にスタートした“りょうぞう&しょうぞう”コンビによる“建築史学入門(4冊セット)”の売り尽くしセールに やっと持ち込めそうです。

 

 

と言うのは、今までに本を買っていただいた方の中から、自らのブログに このテーマについて、かなり突っ込んだ記事を掲載して下さる方が現れたのです。

 

 

米田氏が「自説が認められるのは200年先!」とぼやいておられたことを思い出します。

 

 

先ずはこの反応に感謝を込め、全文を掲載し、喜びの茶々を入れさせていただきます。

 

引用

https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/02/27/230255 

 

 

 

 

黒、赤字(私が着色)は“天下泰平”氏の文、緑字は私の追加コメント

 

法隆寺は移築された―太宰府から斑鳩へ 1991米田 良三 (著) 新泉社 世界最古の木造建築、法隆寺の五重塔や金堂は九州大宰府から移築された。

 

法隆寺の資材帳や昭和の解体修理工事報告書などを詳細に検討、三十三間堂観世音寺の謎も解明。倭国の文化と聖徳太子の原像を描き出す。

 

建築家である著者の結論は、法隆寺は九州大宰府から移築されたというもの。
名高い法隆寺の再建・非再建論争のことは知っている人も多いと思うが、それを圧倒する結論、それが法隆寺移築説である。

 

法隆寺金堂、五重塔、夢殿、その他は、太宰府観世音寺を解体移築した建物であり、その時期は710年である。
また太宰府観世音寺そのものは中国正史「隋書」に記載されるイ妥国の王者、多利思北孤により607太宰府に創建され618年落成した。
現存する主要な仏像も又観世音寺からの移設である。

 

ただ、著者の説は無視されているが、1962年に宮大工の棟梁の家系に生まれた11世伊藤平左衛門もまた、建築に使われる尺度の歴史的違いに着目することで、法隆寺は後世の再建で、別の場所から移築されたと結論付けた。
古建築秘話 / 伊藤平左エ門 / 鳳山社 , 1962
両者の移築説は無視されているが、法隆寺がどこかよそから移築されたのは間違いないと思う。

文系の歴史学者は物差しの違いに触れたがらない。

 

最近の研究で、五重塔の心柱の用材は年輪年代測定によって確認できる最も外側の年輪が594年のものであり、この年が伐採年に極めて近いと発表されている。
伐採年が『日本書紀』における法隆寺の焼失の年(670年)を遡ることから、九州から解体されて運ばれた用材が4080年余りも現法隆寺の近辺に置かれていたという推察が成り立つ。
現在のJR法隆寺駅の南方の川岸周辺に寺院資材が大量に積み上げられて置かれた。
そこの地名が「置留(おきどめ)」「興留」として残ったのではないか著者は推察する。

他にも法隆寺金堂の「昭和大修理」で解体された際、「六月、肺出」という落書きが残っているのが発見された。
肺とはハレー彗星のことで、6176月に地球に大接近したときに符号する。金堂建築中に目撃した大工が、稀に見る自然現象を書き留めたものと推定される。
心柱の伐採年が594年で、6176月に九州観世音寺(現・法隆寺)を組み立てていたとすればつじつまが合う。


著者略歴・米田良三 建築家、古代史研究家。1943三重県松阪市に生まれる。1968東京工業大学建築学科卒業。
建築から日本古代史を見直す研究をつづける一方、古代建築の基礎構造をヒントに耐震技術の開発を行っている。
著者は残念ながら近年がんを患って亡くなった。
闘病のアドバイスと編集の打ち合わせで電話ディスカションは修羅場と化した。
ただ著者の友人(不肖私です)が思いを継いで遺稿集をまとめている(残りあと9セット)。4冊で8000円くらい(本業閉院。レターパック値上などの理由で15000円に変更させていただきます)。分冊売買可能(古い版のみ1冊1000円で。送料別)。興味のある方は問い合わせてください。
全冊購入して熟読したが、さすがに
柿本人麻呂源氏物語も舞台が九州であったという部分にはまだついていけていない。(もう1度TRYしてみて下さい

 

         米田建築史学シリーズ 全4冊最新データ

 

 

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関連動画

 

人類史にとって重要な年になる2026年を大事に生きるために  

https://youtu.be/sW2pEgD8rZc(29:00~)

 

 

明治政府を打ち立てたフルベッキ46人衆の中の一人の孫が日本史学会のトップでしたので、法隆寺移築説なんてトンデモ話扱いされるのは当たり前。

 

 

史学に進む学生も臆病者ばかりだし・・・ 

 

 

日本一の棟梁は米田氏に“移築論”を認める手紙を書いています(第1書参照)。

 

 

私の好きな現在のナンバーワン棟梁にメールしましたが反応なし。

 

 

メールを思い立った理由?

 

 

飯より好きな法隆寺なのに、現地でテレビ出演する彼の表情が冴えません。

 

 

もっと明るく真実を述べて下さい。