1960年代、小田 実 の『何でも見てやろう』の影響を受け、若者達が世界に飛び出して行きました。
旭丘の同級生の山田君もその中の一人で、早稲田大学在学中に東南アジア・オーストラリアを巡る無銭旅行に出かけました。
カバンは木製の箱にキャスターを取り付けた手作りで、彼の道中はイメージし辛いのですが、メルボルン市内で新聞記者に捕まり、(写真)とインタビュー記事が地元紙を飾りました。
1968年の出来事ですのでキャリーバッグの元祖と言えるくらい昔の話です。
彼がブリスベンで出会った U of Q の学生であったA.H.君がその年の冬休み名古屋の山田君の家にステイします。
そこで彼に会ったのが引き金となり、翌年の夏休みオーストラリアで1か月間過ごしました。
山田君に比べれば ぬるま湯的な旅程でしたが“20代の海外体験の効果は計り知れない”と今になって思います。
A.H.君は1970年の大阪万博のオーストラリア館のアテンダントを務め、その時再会しました。
現在、オーストラリアの経済界で活躍(https://au.linkedin.com/in/alan-heiser-9527463?original_referer=https%3A%2F%2Fsearch.yahoo.co.jp%2F)のようです。
山田君はアルコール依存が災いし早世。
彼には我が人生を豊かにしてくれた点で大いに感謝しています。
ユニークで傑出した何かを持っている友に出会えることが今も昔も人気が集中する旭丘の魅力だと思います。
今年も鯱光祭(学校祭)では中学生を初めとして、父兄、一般の入場を禁止すると聞くのですが、これは全く“あさひ”らしからぬ決定であり、コロナ関連の世界的な情報に全く無知であることを示しています。
一方、今晩(7月14日)の東京鯱光会(同窓会)には先輩方が500人以上集結するそうです。