米田建築史学  近況報告 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

約20年間にわたり米田良三氏の原稿の書籍化に全力投球してまいりました。

 

その間、○○人の方々に手作り本を御購入いただき、励ましの言葉も頂きましたが、素人の仕事振りにガッカリされた方もいらっしゃったかもしれません。

 

 

出版社が請けたがらない仕事をアマチュアが引き受けたのですから限界はありました。

 


 

が、出来栄えには満足しています。
 

 

英訳版とか倭国年表など 今後に就いてはアイディアはありますが老化との戦いが待っています。

 

さらにパワーがあれば勉強会なども楽しいでしょうが、加えてコロナ騒ぎが邪魔をします。

 

残念ですが、ここで以前からのファックス、メール、お手紙上の個人情報をすべて廃棄しました。
 

 

建築史学シリーズも増刷は予定しません。

 

残りは約20セットと旧刷のバラ売り若干です。
 

 

フォーククルセダーズが解散記念に制作した「帰ってきたヨッパライ」のレコードが爆発的にヒットした故事にあやかり、残り全部が

SOLD OUTになればと願っています。

 

余談


 

高学歴・名門校出身・教養人といった方々に「米田説」を媒体に接点を設けたのですが

 

 

“飛鳥時代と同時進行で九州北部に別の煌びやかな王朝文化が花開いていた”ということが皆さん どうしても理解できないようなのです。

 

大陸との玄関口が空っぽだったなんて有り得ないことです。

 

そして、あることを契機に権力の交代があったら 何が起こるのかまで考えが及ばないのだろうか。
 

 

と、言うより、そのように考えさせない教育が行われて来たというのが本当の所だろう。

 

そのような人々がコロナ騒ぎでは お上の言うがままに行動してしまったのではないのか?

 

“当たらずといえども遠からず”

 

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