『長谷寺考』の表紙 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

米田良三氏からの年賀状(2009年)です。

 

 

ハーヴァード大学所蔵「源氏物語画帖」の長谷寺のシーンでの玉鬘をスケッチしています。

 

 

 

あの頃『長谷寺考』の原稿は未だ途中の段階にあり、タイトル(案)も「泊瀬にハッピーバレー・プロジェクトを読む」という初心者には意味不明の米田氏独特のものでした。

 

 

 

『長谷寺移築された』を提案したのも 今となっては思い出です。

 

 

 

表紙デザイン(決定版)は玉鬘の切り抜きを現在の三瀬の景色に貼り付けていることから、この年賀状の影響をモロに受けていたことは否めません。

 

 

 

オリジナル『源氏物語』は九州王朝時代の京(大宰府)を中心とした貴族の日常を虚・実をミックスして描かれている、と米田氏は唱えています。

 

 

 

佐賀県三瀬の初瀬川の向こうの丘の上に大悲閣(本堂)があり、手前の田圃辺りに玉鬘が立っていたのは真実と考えます。

 

 

 

大悲閣の観音様は都(北方)を向いていたのですが、移築された大和長谷寺では南向きになっています。

 

 

 

『長谷寺考』の出来上がりは311テロの影響を受け大幅に遅れ、その後の2冊の展開にも影響しました。

 

 

 

 

 

実は“コロナ騒ぎ”、“ウクライナ問題”と「米田建築史学」とは大いに関係があります。

 

 

 

世界中の全てがフェイクまみれの現在、長谷寺が法隆寺より古いこと、『源氏物語』が もう350年前に書かれていたこと等が発信されれば、世界中の人々の日本を見る目が がらりと変わります。

 

 

 

それに伴い日本人も ついに目覚め、812、117、311の真相も全国民が納得し、“壬申の乱”以来の背乗り国家は終焉を迎えることになるのです。

 

 

 

変なお茶の飲み方をしたり、名前を二つ持っている政治家たちが過半数の議会なんてまっぴらです。

 

 

 

現在の日本が消滅し、倭国の雰囲気を取り戻す時代を待ち望んでいます。

 

 

 

真の日本文化に敬意を払う外国人はウエルカムであっても、一気に異民族まみれになるのは防がねばなりません。